2015年11月27日
地域と人を"つなげる・つながる"
神山町からはじめる、僕たちの共創。
interview 祁答院 弘智さん
人それぞれがもつ“モノサシ”についてじっくり話を聞く連載、初回を飾るのは徳島県・神山町の「神山塾」の発起人であり、運営会社「リレイション」の代表・祁答院(けどういん)弘智さん。
モノサスと祁答院さんとの出会いは、かれこれ3年前。ただ美味しいものを食べて飲んで遊ぶ……
そんな仲からはじまったものの、今ではモノサスの新事業として、HTMLコーダーを養成する「神山塾(通称ものさす塾)」をともにスタートする関係性に育っていった。
祁答院さんとは3年前、神山を2回目に訪れたときにはじめてお会いした。
いつもケドさんと呼んでいるので、ここでもそう呼びたい。そのひと月前に神山をはじめて訪れた私は、この町に一目惚れをし、「なにかしたい」と衝動的に思い、会社との具体的な接点を探すために、すぐさま2名のメンバーを伴って再訪したのだ。
開口一番、ケドさんは「ぼくはIT会社はきらいやけど、林さんたちは愛媛出身らしいから会いに来た」と言ってあいさつをしてくれた。
(私は生まれは京都だが、小中高の卒業が愛媛)いろいろ偏見だらけのあいさつだけど、そんなケドさんのノリがなんだか好きで、それ以来少しずつ距離を縮め、今ではとても親しくさせていただいている。
今年、神山塾という職業訓練事業を一緒にやることができることを、心から嬉しく思っている。
私にとって、モノサスのテーマのひとつである「ともに生きていきたい人たちと、働く」を象徴するような人なのだ。
(モノサス 林 隆宏)
原動力は、すくすく育った劣等感
人と地域をつなげて、町を動かす
連載第一回目……僕でいいんでしょうか? まあいいか、選んだほうに責任があるってことにしよう(笑)。
僕はすべて、劣等感から始まっているんです。徳島県出身ですが、幼い頃から東京と大阪に憧れていて。でも、愛媛の大学に進学して、就職こそは都市へと思っていたけど、それも叶わず。だから、もう都市にいくことは諦めて「地元に帰って会社の社長になる!」と決めました。サラリーマンになり、不動産コンサルタントをしていたのですが、28歳で2人目の子どもが生まれて。この頃から起業するために本気でどうしていこうかと考え始めたんです。
ちょうど、都市ではコミュニティ・ビジネスとか、ソーシャル・ビジネスが始まった頃で。NPOや、中間支援団体ができてきて、地域の課題を持続可能な方法で解決していくことをビジネスにしていく動きが出てきた。そういったことに興味がなかった僕の耳にも入ってきましたね。そこから、本当のサスティナビリティってなんだろうと思いはじめて……それは、今も考え続けているのですが。
その頃、僕もサラリーマンをしながら、若い世代と地域をつないでいく活動をはじめました。徳島県内の20歳前後の若者の数をみると、3万人前後いる。でも商店街では見かけないし、若者は遊ぶ場所がないと言っていて。たとえば、音楽をやりたければ、ライブハウスとかジャズ喫茶とか、市内にそういう場所は昔からあるけれど、行く“きっかけ”がない。そこをどうにかすればいいと思ったので、若者と地域をつなぐマッチングイベントをやってみたら、思いの外うまくいった。その時に“つなげる・つながる”という、その後の僕のテーマになるキーワードに出会いました。そこに手応えを感じて、2008年にサラリーマンをやめて、リレイションという会社を立ち上げました。
ワーク・イン・レジデンスから
神山塾へ。地域の新しい村作り
地域プランニングや、コミュニティ・ビジネスをどうやっていくか考えていた時、徳島新聞の「神山町がワーク・イン・レジデンスを実施するから、起業しませんか?」という募集記事を読んだんです。なんじゃこりゃ!と思って調べたら、町にとって必要な起業家など働き手を、受け入れ側から逆指名するシステムで、グリーンバレーという地元のNPOが母体になってやっているということがわかって。すぐに、おもしろい!これだ!と思って連絡したら、代表の大南信也さんが出てくださったんです。この方こそ、僕の人生観を劇的に変えてくれた方で……って照れ臭いですね(笑)。
ワーク・イン・レジデンスに参入して、まず与えられたのが、神山町上分の江田集落の棚田再生のプロジェクトでした。地元のじいちゃんばあちゃん達に鍛えられながら、ひたすら田んぼ作業をしていて。会社としては一銭も稼げず、まったく回っていなかったけれど、不思議とそこに迷いがなく、単純にすごく楽しかった。これまで僕は不動産をやって、大きなお金を動かしていたけど、軽トラの紐一本しばる技術もない。今、周りにいるおっちゃん達は1本の木からいろいろなものを作り出していく。生きる知恵とか生命力というものを目の当たりにしたことで、これまでの自分は一体何だったんだろうと思って。
僕はコンサル出身なので、国の制度とか助成金、交付金を探す能力はあったから、厚生労働省の職業訓練校の制度使ったらいいんじゃないかと、プランを立てて大南さんに持っていったんです。そうして、若者と田舎が両方重なる、新しいコミュニティを作りたいと。それを“村”と呼んで、新しい村づくりがしたいんですって。そしたら……「やったらええんちゃう?」と。名言いただきました(笑)。それは、口だけの無責任な同意ではなくて、ちゃんと自分の意思をじっくり聞いて、受け入れてくれた上で出てきた言葉で。そういう経験は、はじめてに近いものでした。そこから生まれたのが「神山塾」です。
今月から神山塾の7期がスタートしたのですが、新たな制度に切り替えて、リレイションが中心になってやっていきます。
そのカリキュラムの中のひとつに、モノサスさんとウェブコーディングを学ぶ「コーダー養成講座」があるんです。
遊び仲間から仕事仲間へ
東京からきたわんぱく3人組
モノサスチームと出会ったのは3年前かな。神山町にはいろいろな企業が視察に来るんですけど、モノサスはその中の1社で、林くん、真鍋くん、真くんの3人組にたまたま遭遇したんです。まさに、“クリエイティブ”で“IT”な話をしよって、若くてイキった奴らがきたな〜みたいな印象(笑)。最初は挨拶だけのつもりだったけど、話したら3人とも四国出身で、幼馴染……ってもうその時点で「こいつら最高!」と思ってテンションあがってしまいましたね。この条件が揃って悪い奴なわけがない、と(笑)。僕の東京アレルギーを解消してくれたのは、あのわんぱく3人組。みんな少年みたいに楽しそうにしていて。“モノサス”っていうネーミングセンスも好きだし、会社のコンセプトにも共感しています。
僕らが毎年ひっそり開催している「鍋サミット」というイベントがあって。参加費もなく場所を決めるだけで、お客さんに鍋も具材も持ってきてもらって、集まって鍋を作って食べるというもので(笑)。去年は愛媛で開催だったけれど、雨天だったので中止のアナウンスをしたのですが、そこに来る予定だった林くんが「せっかく航空券とったから」って雨でも来てくれたんです。ひどい雨ではなかったので、近場の人だけで開催しようと思ってはいたけど、まさか来るとは! でもあの日がなければ、神山塾にモノサスさんが参加してくれる話は生まれなかった。
2015年香川県女木島で行われたNABEサミット。雨天中止?!ながらも、続々と仲間が集まった。
地域活性は、結果論。
自分たちのために地域と、ともに動く
今、神山はクリエイティブな町だけど、住民の5割が65歳以上の高齢者です。20年後はどんなに頑張っても、強制的に減っていく。その状態を、これからどう創造的に活性化させていくか。僕らを受け入れてくれたグリーンバレーや、この土地を育んできてくれた地元のおっちゃんやおばちゃん、そのすべてに対して感謝しているけれど、まず僕らは僕らのためにやる。“神山とともに”、そこが大事。地域活性は結果論だと思っているから。僕が理想とするビジネス関係、人間関係が、モノサスのみんなとは心地よく創れている。企業としても、パーソンとしてもおもしろくて、つながる魅力ってこういうことだなあって思います。僕の大嫌いな東京のIT、クリエイティブっていうイメージを解いてくれて、視野を広げてくれたしね(笑)。
最近は、東京にもコミュニティってあるなって思うし、もう、東京か田舎かっていう観点で物事をみていない。これからもみんなで一緒に肉たべて、鍋たべて、仕事してって感じで、ともにおもしろいものを創っていきたいですね。
祁答院弘智さんのプロフィール
大学卒業後、不動産コンサルタント会社などを経て、2008年、四国のNPO事業や地域活動の企画・プロデュース会社「リレイション」設立。現在、徳島県神山町のNPO法人グリーンバレーが主催する「神山塾」こと(地域滞在型人材研修)や「神山で地球を受継ぐ!」棚田再生事業のほか、行政、各種団体の人材研修やプロジェクトマネジメントほか、四国の暮らしがいを語る・くつろぐ・記録するフリーペーパー『KATALOG』の発行などに携わる。