2016年04月20日
一歩一歩、確実に。
河原崎 平
「もうひとり採用をさせて下さい。」
さかのぼること数時間前。
私が面接官。河原崎は採用面接を受けに来た応募者。といった関係で、彼とはじめて出会った。
採用面接期間も終盤にさしかかり、その時すでに一緒に働きたいと思う候補者2名(採用枠いっぱい)で決まっており、私は採用活動が無事に終えられるだろう安堵感でいっぱいだった。河原崎の面接はそんな状況下だったため、面接序盤に比べ意気込みは低かったことを覚えている。(ごめんなさい。普段は違います。)
しかし、面接がはじまって考えが一変。
爽やかな青年でハキハキとした受け答えが気持ちよく、好印象。しかもデザイナー志望でやる気に満ち溢れていた。
当時、運用チームにはデザインをメインで担当する人間が一人もいなかった。
そのため、デザイン業務が発生した場合は別チームのデザイナーに依頼をしていたのだが、そのデザイナーは他に主担当の案件を持っているため、即日対応が難しいことが多々あった。
それだと、突発的に発生し、かつ即日対応を求められることの多い運用案件では、体制として不十分。デザイナーもぜひチームに組み込みたいと考えていた矢先の河原崎 平が登場した。
今後の運用チームの構想にもマッチするし、人柄的にも、やる気に満ち溢れているところも、
「いいではないか!」
ということで、
「今後の運用チームに不可欠な人材となるため、採用枠を1名増やさせてください!」
と代表の林に直談判。
熱意も届き、晴れてモノサスの一員として、働いてもらうこととなった。
これが、運用チーム現班長「河原崎平」との出会い。
苦悩の始まり
無事に入社してもらえたことは良かったものの、そこからが苦悩の日々がはじまった。
運用チームでは、クライアントに合わせたスキルを求めるため、デザイナーだから、デザインだけ。コーダーだからコーディングだけ。と分業するわけにはいかず、必要あらばなんでもやってもらい、広い範囲での対応力を付けてもらうスタイル。
もちろん1つのことにおいて、高いスキルも求められる。
なので、河原崎にも コーディング、ディレクションとデザイン以外の部分を色々とやってもらった。
紙媒体のデザイン経験はあるが、Web業界は未経験の河原崎としては、右も左もわからない新しい業界で、やったことのない仕事をやるだけで負担があったのではないだろうか。
かたやWebでのデザインをやりたいと言って入ってきてくれたにもかかわらず、その頃はデザインの業務も少なく、がっかりしたかもしれない。そんな中、不満を一切言わず、積極的に運用業務に向き合ってくれた彼には感謝の言葉しかない。
とはいえ、本人の中では色々と葛藤があったはず。
本当にありがとう。
やがて、デザインの仕事も徐々に増えてきた。
それはそれで大変で、紙媒体のデザインとはやはり異なる難しさがあり、
ある新規のクライアントからの業務では、デザインのトーン&マナーを掴むまでに、相当苦労をした。
一緒に「 あーじゃない、こーじゃない」といろいろ試行錯誤したデザインをお客様へ提出しても、たくさんの修正指示というお土産をぶら下げて帰って来る始末。
また、その修正指示に対応し提出してもデザインがFIXせず、何度も何度も出し戻しをする蟻地獄に陥ること多々有り。
いま、あらためて当時を思い出すと、さまざまな修正指示をひとつひとつすべて正直に真正面から受け、対応したため生じたバランスの悪さも、当時は視野が狭く俯瞰して見ることができずに、とんでもないデザインを提出してしまったなと思う。
デザインは人それぞれの感覚的な部分が多く、それを人の言葉、文字に乗せて伝えた場合、受け手次第で様々な解釈となることが多々ある。
それを、うまく受け取ることができず、悩みました。河原崎も私以上に悩んでいた。
完全に二人で思考がフリーズしていた・・・。
現在はお客様から「デザインクオリティーに満足! 」と言っていただけるようになり、今となっては「素直」過ぎる河原崎の性格を物語るエピソードである。
「かわらざき たいら」の人となり
続いて、河原崎平の人となりの紹介。
周りの多くの人が「たいら」と呼ぶ。
「かわらざき た・い・ら」いい名前である。
本人曰く、「平(たいら)」の意味としては、たいら自身も、たいらの周りにいる人も「平和」に過ごしてほしいとの親御さんのあたたかい想いで付けられた名前とのこと。
その通り、彼自身はとても温厚な性格。
表向きは・・・。
時には譲らない意思もはっきりと示すこともある。
基本は温厚なため、無理なお願いをしても、自分自身のがんばりで対応可能であれば断らない。
急な理不尽なお願いがあった場合も、極力受けるスタンス。
そこに甘えるのはよくはないのだが、大変助かっているのも確かだ。
そんな彼にある時、私から
「無理なものは無理と言っていいんだよ」と伝えると
「断ることで、嫌な雰囲気になるのであれば、自分が我慢してでもやる方を選択してしまうんです」
と。
大人である。
だがストレスは溜まるのだろう。帰りの電車が一緒になったときなど私に吐き出してくれると、逆にすこし安心できる。
これで、何も吐き出さなくなったら心配だ。
最近、一緒に帰ることがなくなったので、何か溜まっているものがあれば、いつでも誘ってほしいものだ。(笑)
そんな性格だから、みんなから仕事がやりやすいと、頼られる存在となっている。
仕事がやりやすいって思われることは、誰でもできることではない。
イラストを描く
「かわらざき たいら」
河原崎はイラストを描くのを得意といている一面もある。
友人の結婚式のウェルカムボードなど、クオリティの高いものを作っており、私もいちファンである。
最近は、友人の結婚式が続いているようで、ウェディングボードなどのイラスト作成を頼まれることが多く、週末は常に忙しそうにしている。
本人より過去制作をしたイラストをもらいましたので、この場を借りて紹介したいと思う。
手先が器用だ。油断をすると打合せ中にもイラストを書いていて怒られたりもし、ゆるい部分もあったりもする。
私のお気に入りとしては、右上のイラスト。こういったイラストをかける仕事があればぜひやりたい。
これから
ふと思えば、河原崎に仕事をお願いをすれば、案件はだいたいうまいこと納品まで導いてくれてる。
班のこともしかり。
ほぼ任せっきりである。
心配性の私以上に心配性。その分細かい確認、気配りもでき、安心して任せられる。
何かあれば、すぐに相談をしてくれ、そのタイミングがまた絶妙なのかもしれない。
今では班長業務も板につき、班のメンバーをグイグイと引っ張っていく頼もしい存在である。
入社してから、一歩一歩確実に運用チームの成長と共に歩んでくれた河原崎。
これからも今まで通り、確実に歩をすすめてもらいたい。
そして、運用チームを引っ張っていく仲間として、その中心として、これからもいろいろなことに共にチャレンジしていきたいと、切に願う。