2016年08月18日
ひとつの場所、ひとつの肩書にとらわれない。出会った仲間と一緒に、熱を巻き起こしていく。
interview 坂口修一郎さん - 前編 -
無国籍楽団 Double Famous のトランペット、トロンボーン、パーカッション担当のミュージシャンとしての顔。
鹿児島で行われる野外イベント「GOOD NEIGHBORS JAMBOREE」の主宰など、イベントプロデューサーとしての顔。
ランドスケーププロダクツ内のディクレクションカンパニー BAGN Inc 共同代表としての顔。
熊本・大分地震のためのプロジェクト「OK PROJECT」などを立ち上げたファシリテーターとしての顔……。
今回、登場していただく坂口修一郎さんは仕事をひと言で表す肩書きや言葉が、うまく見つかりません。
今日、東京にいたかと思えば、翌日は郷里の鹿児島、その次の日は岡山、北海道と全国をフットワーク軽く飛び回り、忙しそうなのにいつも温厚で前向きで。次にどんなアクションを起こすのか、気になってしかたがありません。
そこに、どんな営みと働き方があるのか。謎多き坂口さんの日々に迫りました。
(インタビュー構成:佐口賢作)
困ったときに助け合えるつながり作り
それがなにより一番の支援になる
4月に発生した地震により大きな被害を受けた熊本と大分。その支援のための「OK PROJECT」を立ち上げた坂口さん。音楽イベントなどとは性格の異なる取り組みを主導することとなった経緯からインタビューを始めました。
「熊本の地震が起きた日、僕はちょうど鹿児島に戻ったタイミングだったんだよね。着いてみたら熊本、大分に大きな被害が出ていて、天草にいる友人がFacebookに“ちょっと危機的な状況。どうなるかわからない。余震も止まらない”といったことを書いていた。
僕の方は打ち合わせの予定がすべてキャンセルになり、ぽっかり体があいたから、じゃあ、とりあえず物資が足りないようだから持って行こう、と。鹿児島で物を集めながら、誰かが持っていてくれるだろうと思っていたんだよ。
ところが、車が足りない。行ける人もいない。でも、僕のところには車もあって、1日なら時間もあった。じゃあ、俺、行くよと」
ところが、高速は使えず、唯一の国道は大渋滞。そこで、浮かんだのは昨年アドバイスしていたフェスティバルの関係で知っていた鹿児島の長島から熊本の天草を行き来するフェリーでした。
震災発生翌日からすでに通常運行に戻っていたフェリーを使い、天草の友人に物資を手渡した坂口さん。その活動はその後1週間ほど継続。中心となったのは、のちほど詳しく語られる、「GOOD NEIGHBORS JAMBOREE」の実行委員でした。
「担当は誰々ではなくて、スケジュールのあいている人が届ける。友人の花屋や焼酎蔵、醤油屋さんの営業車が1台あいているから、それに積んで持って行こうみたいなことをしばらくやっていた。
ただ、日本は優秀だから物流はすぐに復旧して、物資は大丈夫になった。じゃあ、次のステップとして何か必要なことはある?と、現地で聞いてみたら、こんな声が集まってきた。
『物がまったく売れないし、店も開けられないという状況がある』『東日本大震災のとき、九州は揺れもなく、被災についてピンときてなかったんだけど、今になってどんだけ大変だったかと思う』
『しかも、揺れに加えて、津波、火事、原発の事故もあったにもかかわらず、同じような業種の人たちが店を立て直し、今も商売をしている。どうやってやったのか。聞いてみたい』
そのとき、イノベーション東北を運営しているトモミン(Google株式会社 防災・復興プロジェクトプログラムマネージャー 松岡朝美さん)も一緒にいて、僕にも東北とのつながりがあったから、スモールビジネスのオーナー同士が話し合える機会を設けられたらいいなという話になった。それが、『OK PROJECT』の始まり」
「OK PROJECT」の第1弾「熊本大分オープンミーティング」は6月に開催され、東日本大震災を乗り越えてきた人々と熊本大分震災で影響を受けている人々を直接つなぎました。(HOOD天神さんによる開催レポート)
当日は福岡のメイン会場(天神HOOD)のほか、熊本市、別府市(大分)、東京の各地からGoogleハングアウトを使い、約170名が参加しました。
「終わってみて、思ったよりたくさんの人が参加してくれたなという手応えがあった。みんな何かをしたいというモヤモヤした思いがあり、そこに動機付けが与えられると、動いてくれる。改めて思ったのは、一番大事な支援はつながりを作ることだった。
例えば、東日本大震災の後、伊勢丹に協力してもらって益子の陶芸家のためのイベントをやったんだけど、イベントの成功以上に喜ばれたのが、陶芸家同士のつながりができたこと。彼らは普段、自分のアトリエで物を作っているから、近くに住んで同じような活動をしているんだけど、ちゃんと話したことがなかったと言うんだよね。
それが展示販売会をしたことでつながりが生まれ、その後もコミュニティで困ったことがあると連絡し合い、助け合っていくようになった。結局、それが一番の支援になるというか。困ったときに助けてくれるつながりができることは、お金や物資以上に重要なこと。今回、『熊本大分オープンミーティング』で、そのキッカケを作れたのはよかったと思うな」
友だちが困っていたら助けるというか、
自分にできる何かをしようと思うじゃない
「OK PROJECT」は「熊本大分オープンミーティング」後も継続しています。オープンミーティングの実現だけで終わらず、発展させていった背景には坂口さんらしい支援に対する考え方がありました。
「災害の直後、物資を送るというのはわかりやすいアクションで、ものすごい勢いで物が集まってくる。義援金を渡すのも同じで、すごい勢いでお金が集まる。もちろんそれは大事なことなんだけど、少し時間が経つと、そこにミスマッチが生まれてくる。
それは支援の渋滞のようなもので、みんなが同じアクションを起こしたことで物やお金が渋滞する。でも、地域を見回すと渋滞のないところがあり、じつは支援が行き届いていないところもたくさんある。
その構造に気づいた以上、何かをしたいと思った。でも、自分に何ができるか。考えていくと結局、自分が普段やっていることに直結したアクションじゃなければうまくいかないなと思ったんだよね。
その点、僕は日頃からマーケットのイベントや音楽イベントを企画している。そして、そこに関わっている人たち同士に新しいつながりが生まれ、広がっていくことの良さを知っている。支援として自分がやるとしたら、この形だなって」
OK PROJECT報告会がおこなわれた @GOOD NEIGHBORS JAMBOREE 2016
物資の支援や義援金は急場をしのぐためのもの。人々の暮らしは、一息ついた後も生活は続いていきます。
「そのとき一番重要な資源は“人のつながり”。物を売っている人だったら、顧客が増えること。そうすれば、継続して売上も伸びていく。もし、熊本市内や大分市内で物が売れなくなったのなら、外に行って売ればいいし、外に出たことで新しいつながりが生まれれば、事業が継続できる。
そうしたマッチングのキッカケ作りなら、普段、自分がやっていることだし、やれるかなと思って継続したのが『OK PROJECT』。
実際、今はキッカケ作りの第一歩が一通り終わった感じだね。渋谷ヒカリエやJRのアミュプラザといった日頃から付き合いのある商業施設に声をかけたら、それぞれの担当者もすぐに動いてくれて、『熊本大分復興支援マーケットOK SHOP』というマーケットを日本各地で開催することができた。
どこの会場も反応が良くて、売上もそうだけど、渋谷では熊本、大分出身で東京に住んでいる人たちが地元のお店や活動に出会って、新しい卸先になってくれたり、つながりが広がっていった(渋谷ヒカリエ 8/COURTページ)。
そうやってつながって、友だちになると、相手が困っていたら、助けるというか、支援という大げさな言葉で考える前に何かしようと思うじゃない。災害については、明日は我が身だから。今はサポートしている側の人にも何かがあったら、他の人がサポートする。そういうふうになればいいし、それが一番のセーフティーネット。やってもらったから、今度は自分がって」
好きな町に行きたいから
そこに仕事を作ってくる
このインタビューの間、幾度となく使われた言葉が「つながり」でした。つながりを大切にする坂口さんは、いくつもの顔を持ち、誰よりも広く柔軟で意外性のあるつながりの中にいるように思えます。
実際、栃木県の黒磯でひらかれたイベントに坂口さんと一緒に訪れた上村は、5分おきくらいで「あ、坂口さん」と声をかけられる光景に驚いたと話していました。こうした人との出会い、つながりはどうやって生まれていったのでしょうか。
「作ろうと思ってできるものじゃないから。なんでだろうな……、なんだろうね(笑)。あまり考えたことなかった。質問されてみて思うのは、元々、音楽をやっているからライブをしにあちこちを回るでしょう。すると、1対1000とかで、向こうがこっちを知っている状態ができて。でも、普通ミュージシャンはステージから演奏して裏に引っ込んで終わりだけど、僕らの場合はどんどん下りて行っちゃうからね。
そういうスタイルもあって、仲良くなる人も多いというか。しかも、そうやって知り合うと、僕はすぐに“あ、あの人はこれできたな、あの人はあれできたな”と思いつき、何か仕事があると気軽に声をかけてしまう。その繰り返しでコミュニケーションが生まれ、広がっていったのかな」
坂口さんのFacebookのタイムライン見ていると、昨日は東京、今日は鹿児島と日本全国を飛び回っています。求められ、呼ばれればフットワーク軽く動きまわっている印象です。
「そうそう。ネットワークとフットワークで友だちのいる土地を回っている。基本的にはオファーが来たものに対しては極力なにかしらお返ししようと思っているから。体があいていれば、行くという感じ。
あと、全国に気が合う町っていうのがいくつかあるんですよ。北海道だったら東川、栃木だったら那須、益子、笠間。神山もすごく好きだし、岡山でしょう、高松、高知、福島、鹿児島……。
好きな町に行きたいからそこに仕事を作ってくる。那須なんかは、行くと町の人が声をかけてくれて、『今度なんかやろうよ』という話になる。そうするとまた行けるじゃない。
だから、精神的な距離で言うと、僕には池袋の方が鹿児島より遠いし、吉祥寺に行くよりも岡山の方が近い。物理的な距離じゃないから、自分の中の日本地図はすごくいびつな地図になっているかも」
この独特としか言えないワークスタイルは、どうやって培われていったのでしょうか。
「昔から1カ所にずっといるのが苦手なんだよね。だから、学生のときは毎日同じところに通うのが本当に苦痛だった。でも、そう感じるのはダメなことだと思っていた。自分はダメダメだと思っていたし、劣等感もあった。教育ってそういうものじゃない。ちゃんと毎朝学校に来て、毎日同じことをしなさいって。
だけどある日、なんでこんなこと強いられるのか?そうじゃない生き方もあるんじゃないかなって考えるようになって。ただ、具体的な方法はわからないから、大学卒業してしばらくはアパレルのブランドに勤めていた。でも、そのときも毎日同じように朝、お店に行っての繰り返しがつらくて、休憩時間になると自転車に乗ってあちこち行っていた。
勤め先は代官山だったんだけど、道に迷って帰れなくなってめっちゃ怒られるとか。よくそういうことがよくあった。だけど、自分としては迷った先でいろんな人と出会って、そうやって知り合いになった人が買い物に来てくれていたから、トントンなんじゃないかと思っていたんだ。
まあ、会社的には“許さん!”って話だったけど。ただ、自分は休憩時間に出歩いていくようなスタイルの仕事の仕方の方が向いているなって。改めてそう思ってからは本当にトライ&エラーの繰り返しで、今のスタイルになっていった感じかな」
代官山近辺から日本全国へ。活動範囲はどのように広がっていったのでしょうか。後編では、トライ&エラーの末にたどり着いたワーク・ライフ・バランスの垣根のないマーブル状の仕事のスタイル。大切にしている隣人“GOOD NEIGHBORS”という考え方。そして、故郷・鹿児島で行っている野外イベント「GOOD NEIGHBORS JAMBOREE」について、より深くうかがっていきます。(明日の後編へ続く)
坂口修一郎さんプロフィール
BAGN Inc.代表1971年鹿児島生まれ。
1993年無国籍楽団 Double Famous を結成。2010年より故郷の鹿児島で野外イベント GOOD NEIGHBORS JAMBOREE を主宰している。また、ランドスケーププロダクツに参加し、同社内にディレクションカンパニーBAGN Inc.を共同設立。ジャンルを越えた各種イベントのプロデュースも多数手がける。
GOOD NEIGHBORS JAMBOREE 2016
日程:8 月 20 日(土)
時間:11:00〜21:00
場所:かわなべ森の学校 (鹿児島県南九州市川辺町本別府3728−2)
料金:前売り入場チケット:¥5,000/当日入場チケット:¥6,000(小学生以下無料/ワークショップ参加費別途)
参加アーティスト: UA / otto&orabu(しょうぶ学園) / The Pints / THE ACOUSTICS / monoclaft / kokomoonpelli / Robin Dupuy GOOD NEIGHBOR DJs / 青柳拓次:サークルボイス / GOOD NEIGHBORS MARCHING BAND
HP:http://goodneighborsjamboree.com/2016/