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Sep,2016
榛葉 真透
投稿者:榛葉 真透
(デザイナー)

2016年09月20日

ON THE ROAD
大藪博幸の人生の歩き方

メンバー紹介

榛葉 真透
投稿者:榛葉 真透(デザイナー)

モノサス クリエイティブ部ディレクター大藪博幸との出会いは、私がモノサスに入社した3年ほど前。彼は、私が配属されたクリエイティブ事業部(当時まだ部制ではなかった)の同じメンバーで、1年先輩として一緒に働いていた。

入社当時の彼の印象は、“人なつこくて愛されるキャラクターだなぁ”というもの。その印象は、仕事でもプライベートでも、多くの彼らしさとして変わりなくそこにある。

クリエイティブ部でも、同僚のディレクター陣の中で最も多い案件数を抱え、日々案件を回している彼は、以前に担当した制作のクライアントから、新しい案件でディレクターとして指名を受けることが幾度かあったことから、関わる人々からの人望の厚さが顕著に伺える。
彼には、人に可愛がられたり求められる素質があるのだと思う。彼と話すと、会話の引き出しが多岐に渡り、これまでの体験や経験、それに結びつくまでの探究心と素直な姿勢がそうさせるのだろうと感じる瞬間がしばしばある。
 

音楽、旅、留学。飽くなき探究心が人生の礎

そんな大藪の素質はどういったところから来ているのか。
彼はこれまでの遊びや人間関係での経験や、留学していたときの体験を話してくれることが多い。それをかいつまんでも、多種多様な人種と関わりながら、探究心で突き進み好奇心を満たしていることがよくわかる。

千葉県千葉市出身、友人と地元でサーフィンをしたり、旅行をしたり、たくさんの音楽イベントへ足を運ぶなど、学生から20代の前半をアクティブに活動していた。その過程で何人かの仲の良い先輩に面倒を見てもらったり、たくさんの友人関係を築いていった。行く先々のイベントでは、著名なアーティストから地元の音楽好きまで、誰とでも気さくに打ち解けていたことは、今の大藪と接していても容易に想像がつく。


20代前半当時、お世話になっていた先輩の家で。

そんな大藪から聞いた、彼の転機ともなった25歳から26歳の2年間のロンドン留学のことから紹介しよう。
 

ロンドンの街で過ごした2年間

それまでの生活のしがらみに疲れたこともあって、海外に住んでみようと思いたち、どこに住もうか考え始めたのが24歳のとき。住む場所は、以前訪れたことがあるニューヨークが真っ先に思いついた。しかし、生活する自分の姿が容易に想像できる場所よりも、想像できない場所にしようと、訪れたことのないロンドンを選んだ。

目指す国が決まってからは、とにかくお金を貯めなければと考えた大薮は、とりあえず100万円を貯めようと決め、運送の仕事など、アルバイトを掛け持ちしながら早朝から深夜まで働いた。
驚くことに、わずか10ヶ月で目標金額を貯め、すぐにロンドンの語学学校へ入学する準備を始めたのだ。月に10万円以上を貯金しながら生活するという驚異的な瞬発力と堅実さには驚倒する。

そうして無事に1年間のロンドン生活を開始することとなった。とにかくロンドンという街は、そこそこお金を持って遊ばないとおもしろいことができない街だということを悟った大藪。まず仕事を見つけようと考え、学校に張り出された求人情報を見あさった。しかし、そこには目ぼしい求人はなかった。

日本人だらけの職場では語学勉強にならず、意味がないと考えた大藪は、一人街を徘徊し、決して華やかではない雰囲気の通りで、1件のジャパニーズカフェを見つける。黒い看板にピンクで描かれた”Mika”の店名と、”JAPANESE CAFE”の白い文字に目を留め、おもしろそうだと直感した大藪は、すぐさまそのカフェへ飛び込んだ。

親日家だが日本への渡航経験のない雇われ店長アランへ、仕事を探していることを相談すると、その店ではこれまでに日本人を雇ったことがないということで、喜んだ店長にすぐに迎え入れられた。日本人のいないジャパニーズカフェで、初めての日本人スタッフとして働きだし、ロンドン生活の基礎を手に入れたのだ。


ロンドンのJAPANESE CAFE Mikaで働いていた当時の写真。一番左が店長のアラン。

それからは、日本人ということだけで重宝されるようになり、20歳そこそこの若いイギリス人のスタッフたちにも頼られながら、仕事をうまくこなし、確実に信頼を得ていった。

そうして稼いだ給料が貯まってくると、せっかくイギリスにいるのだからと、ヨーロッパ縦断計画を立て始める。何日か休みが欲しいと交渉する大藪に、アランは「お前がいなくなったら、誰がメニューを作るんだ。」と、休むことを渋ったというほど頼りにもされていたようだ。それでも、飽くなき探究心が折れることはなく、「ロンドンへ来たのはここで働くことが目的じゃないんだよ。」と、旅を楽しみたい思いを熱心に伝え、最後には、「楽しんでこいよ。店は任せろ。」とアランの説得に成功。スペインやフランス、ドイツやオランダとヨーロッパ縦断の旅を実現した。

大藪から見せてもらった「Mika」での仲間や常連との写真は、彼がどれだけ可愛がられ慕われていたの想像が出来る仲の良くしているものばかりだった。
仕事、遊び、学業とのバランスをうまくとりながら、1年間だった留学計画を1年延長し、合計2年間ロンドン生活を送った。生活にも慣れ、気の合う友人もたくさんできた。そうした生活も残り3ヶ月となり、帰国を意識し始めたある日、Mika を閉店するという通知が、経営者よりスタッフ全員に配られた。

初の日本人スタッフとして重宝されていた大藪は、その信頼からか、退職金として約600ポンド(当時の1ポンド=約220円)を手にすることになる。これはチャンスだと考え、退職した後の1ヶ月をインド旅行にあてようと考えた。まだ見ぬ国インドに少しでも慣れておこうと、まずロンドンにあるインド人街まで格安チケットを求めて出向き、インド人たちにチケットの交渉や相談をする。インド人たちは、イギリスから行かずに、日本に帰国してからから行けばいいだろと口々に言ったが、職場の閉店や退職金のこと、2ヶ月後に控えた帰国のタイミングの前に絶好のチャンスであることを、習得した英語で説明しながら、無事にチケットを手に入れ、インド旅行に旅立ったのだ。

ムンバイ、バラナシ、リシュケシュ、ジャイプール、デリーなどの街を巡ることを漠然と計画立て、その都度訪れた街で安宿を探したり、地元人の世話になったりと、バックパッカーとしての生活は約1ヶ月にも及んだ。途中デリーで出会った青年に誘われ、パキスタンとの関係が緊張状態にあった北部の湖で、そこに浮かぶ水上宿へ宿泊し、情勢の不安定さから宿に1日缶詰になったり、リシュケシュで出会った夫婦と共にネパールへ入り、1週間ほどトレッキングしたり、昨年の地震で倒壊したブータンの寺院に足を運んだり、ジャイプールではバイクを借りて砂地をツーリングしてみたり、出会いが次の旅路を決める流浪を楽しんだのだ。


パイクで旅行中に立ち寄ったインドのジャイプールでの記念写真。カメラを向けた途端に地元人が群がってきたという。

そうして、日本へ帰国する3日前にロンドンへ戻った大藪は、荷物を預けていた友人のアパートに2日間滞在し、無事に日本へ帰国したのだ。
 

HTMLとの出会いと、モノサスへ入社まで

帰国した大藪は、仕事を探すということを両親へ約束し、東京で一人暮らしを始める。とは言っても、すぐにしたいことが見つかるわけでもなく、ニートのような生活がしばらく続いた。転機は書店で出会ったHTMLの参考書だ。興味を持った大藪は、すぐに何冊か購入し、参考書通りのWEBサイトを作り始め、どんどん没頭していく。朝から晩まで、コーヒーとタバコだけでパソコンへ向かうことも日常的だったようだ。彼曰く、何かに没頭すると、タバコとコーヒーだけあればご飯を食べなくても平気なんだそう。

そうして HTML を一通りマスターした大藪は、当時主流だったフル Flash のサイトに興味を持ち始めた。Flash ソフトの使い方から始まり、アクションスクリプトを使ったサイト制作へと派生。趣味で始めたサイト制作も、プロ顔負けの作品がいくつも完成し、これはポートフォリオを作った方が良いと考え、アーカイブするようになった。

その頃から、これだけ楽しいことなら仕事にしても続くのではと考えるようになった大藪は、Flash の技術を駆使した仕事を求め、アーカイブした作品のポートフォリオを武器に、クラウド型ラーニングサービスを行っていた会社のアルバイトの求人に応募し、見事入社する。ラーニングへ登録したユーザーが見る参考用アニメーションの制作を任され、独学で学んだサイト制作を、本格的に手に職に変えたのだ。あの時は Flash で実現できないことはないと自負していたらしいが、それだけ専門技術をマスターしていたことがうかがえる。

しばらくその会社で働きながら、ときには知人からの依頼を受け、フル Flash のブランディングサイトを制作し、更なるキャリアアップとクオリティアップを実践すようになった。それに反して、時代は Flash サイトが下降期となり、仕事も週に2日程度しかない状況になると、徐々に転職を考えるようになった。これまでの実績を活かせる職を求め、都内の名の知れた制作会社はほとんど面接したという大藪だが、下降期の Flash 技術に需要は少なく、黎明期だった JavaScript などのプログラムの時流の波に揉まれながら、転職は思ったより難航したようだ。
結局 JavaScript も、根本的な考え方ではそれほど技術が変わらないことを分かりつつも、経験や実績が少ないことが合格につながらない要因だと分かっていたのかもしれない。しかし、諦めることなく転職活動を続けた。そうして何社も面接し出会ったのがモノサスだったのだ。
 

口論から徹夜まで、何でも共有できる関係

モノサスに無事に入社した大藪は、その経験を生かし、クリエイティブ事業部でコーダーとして働き始める。私が3年ほど前にモノサスへ入社し最初に任された案件の一つに、英才教育の小学校のサイトのデザインの補佐があり、その時にメインコーダーを担当していたのが大藪だった。

彼が聴く音楽や DJ、足を運ぶイベントなどが共通している点、そういった音楽イベントへ参加する共通の友人がいること、映画やアウトドアの話などが私に特別な親近感を与えた。休憩などのオフの時間に話す会話の内容は、地元の友達や音楽イベントで遊ぶ私の友人のそれと同じような内容であり、入社まもない自分でも、とても気を許せるくだけたメンバーの一人だった。

もう一方で、案件の進行中に口論をすることもしばしばあり、私がミスをしたところに関しての指摘や、案件の進め方ですれ違いなど、些細なことでも言い合いに火がついて、お互いに譲れない雰囲気になったこともある。

そんな大藪とは、社内の体制変更で部署が分かれ、案件を一緒に進めることがほとんどないまま2年以上過ぎた。その間にもコミュニケーションはあったが、昨年から私がデザイン部の BtoB 企業コーポレートサイト制作案件の社内窓口としての役割を任されるようになり、別チームで BtoB 案件のディレクションを担当していた大藪と、再び一緒に仕事をする機会が急に多くなった。そこで、コーダーからディレクターへとキャリアアップをするために動いていた大藪は、いくつものディレクションを経験し、確実にスキルアップしているのだとを実感したのだ。


ある案件のページ構成やデザインについて相談する大藪と私

ディレクターとデザイナーという関係の大藪と私が、入社当時のような口論も度々起こしながらも、以前と比べると格段にスムーズに案件を進めることができるようになった。それでもトラブルはつきもので、案件開始のタイミングでは見えていなかった制作のボリュームを、いざスケジュールに分解してみたところ、1週間ほどで10数ページの PC とスマートフォン用のデザインとパーツデザインを行わなければならず時間が足りなくなったり、デザイン制作が納期ギリギリになってしまった時などに、終電を超えて朝まで徹夜に付き合ってもらうようなこともあった。
 

人から事へ、旅はまだまだ続いていく。

大藪はよく自分のことを話してくれる。
それが具体的にいつの出来事かという時系列や何年前のことかなどの細かい話はないものの、訪れた国で起きたこと、友人や先輩とのおもしろ話、好きな音楽や観た映画など、たわいもないことだが、楽しんでいること、楽しんでいたことがよく伝わってくる。

私がこの記事の紹介者の指名を受けてから、書き始めるまでの約2週間、彼をじっくり観察していた。注意深くしたり、特別な質問を投げかけたりせずに。いつものように、気さくに話しかけてくる大藪は、そんなこと知る由もなく楽しそうな話題をふってくる。その2週間に深い意味はなく、普段からじっくり人を観察することのない私にとって、他人を紹介するに当たってのイメージを膨らませるのに重要な時間だっただけだ。
そうして、私が紹介者であることを打ち明け、取材をさせて欲しいと依頼した。

久しぶりに昼食へ誘い、イタリアンレストランとカフェをハシゴし、過去の話をじっくり取材した。これまでに要所の話は聞いていたので、今回はそれを時系列に沿って話してもらったのだが、普段から自分の話を人に伝え慣れているのか、それともこの日のために整理してきてくれたのか、すらすらと20代半ばからモノサスへ入社するまでの話を、facebookのアルバムの写真と合わせて話して聞かせてくれた。時間いっぱいまで会話は盛り上がり、この短時間では聞ききれない大藪の人生の歩き方の一部を、メモを取りながら想像した。

そうした話を聞くたびに、そこで関わった人々や、その人々の生活や文化を通して見えたことを楽しそうに話す大藪を見て、何よりも人が好きなんだろうと感じる。
そこが起点で、興味の幅が広がり、目に止まったことへの探究心がが芽生え、楽しさを求めて行動している。

大藪は型にはまろうとせず、常に目の前にいる人と、その先にある事へ好奇心をたぎらせている。理系脳と例えるべきなのか、一度おもしろいと思ったことに対して、コツコツと追求し、極めようとする姿勢がある。人とのコミュニケーションも同様に、一つ一つ積み重ねているように見える。
人とともに歩み進むこと、それが彼の人生の歩き方なんだ。

これからもたくさんの人と出会い、そこから刺激を受けながら、直感的好奇心をコンパスにして旅を続けるのだろう。

この投稿を書いた人

榛葉 真透

榛葉 真透(しんは まさゆき)デザイナー

Webデザイナー。20代は音楽イベント、料理、ファッションに没頭し、最近Webデザイナーとして本格的に動き出したばかり。温もりのあるモノやデザインが好き。アメリカを代表するサイケデリックロックバンドGrateful Deadに魅せられてから、カリフォルニアをはじめとするアメリカの音楽カルチャーが大好物。

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