2016年10月21日
90年代後半のITバブルから現在まで
Web制作の現場で働き、生きてきた2人のモノサシ
今回の「めぐるモノサシ」に登場していただくのは、Web制作とWebコンサルティングを手掛ける株式会社エピオン代表の田中智さん。副社長・永井の古くから知り合いで、Web業界の趨勢を共に働きながら感じてきた仲間です。
そんなわけで、まずは永井から田中さんへのメッセージではじまりたいと思います。
田中さんのこと
田中さんとは、まだ「Web業界」という業界自体が赤んぼだったころからのお付き合い。
お互い若くて勢い半分で飛び込んだ世界。見たことのないこと、やったことのないことばかりの毎日に、ハラハラ、ワクワクの日々を過ごしたことが、20年近くも前になるとは、いやはや、歳もとるはず、体形にもカンロクがでるはずでしょう(笑)。
田中さんと会っていなかったら、一緒に働いた経験がなかったら、今の私は、だいぶ違った働き方をしていると思います。
田中さんは、実は心配性で、ほんとはまわりのことをすごく気にしているのに、自分の言いたいこと、やりたいこと、スタンスは何としてでも押し通してしまう。そして、ビッグマウスに責任を持って結果を出すから、まわりも最後には納得する。
そんなふうに、1つ1つの課題を越え続けてきている田中さんだから、どんなことでも何とかしてやり遂げてくれる、そんな絶対の信頼感を持っています。
最近は困って電話することも少なくなったので、久しぶりに、自分に「カツ」をいれるような刺激を受ける話をお聞きしたいと思いました。
2人が知り合ったのは Windows95 ブームの只中、IT バブルが膨らみ始めた頃のこと。他業種から Web 業界へ転職してきた永井は、転職先で年下ながら半年前に入社した先輩の田中智さんと出会います。
「当時、20代前半の田中さんはギラギラした感じの若者でした。とにかく何時に会社に行ってもそこにいて、仕事をしている。不思議に思って聞いたら、『僕には1日が2回あるんですよ』って言ったのを覚えています。とにかくパワフルで最新技術に貪欲で仕事ができるという印象だったな」(永井)
良好な先輩後輩の関係を築いていた当時の会社はITバブルの崩壊とともに業績が悪化。永井は現在のモノサスにつながる仲間たちと、田中さんは現在のエピオンにつながる仲間たちと、それぞれ起業します。
「昔は飲みにもよく行っていましたけど、最近はあまり。ここ1、2年は本当に会っていない(笑)。だから、今日の取材は『どう最近?』から始まりそうな勢いです」(永井)
自分を縛るリミッターを外して
納得のいくところまで仕事がしたい
共通の知り合いの話など、お互いの近況を伝え合いながら始まった今回のインタビュー。まずは最近の仕事の話題から。すると、田中さんの20代の頃と変わらぬ突き抜けた働き方が明らかに……。
永井
最近、仕事はどうですか?
田中
エピオンは7期目で来月から8期目に入るところなんですけど、昨年、一昨年は公私ともにトラブル続きで“本当に大殺界ってあるんだな……”と。ここ2年は新しい試みはせず、静かに過ごしていました。
ただ、そのきつかった時期にクライアントさんから助けてもらうことが多くて。僕らの今までの働き方、仕事へのスタンスを見てくれていて、手を差し伸べてくださる方がたくさんいて、正直、うれしくてちょっと泣いちゃいました。
永井
きつい時期はもう抜けたんですか?
田中
無事に切り抜け、今年は仕事に没頭しています。ただ、2年間静かに過ごしたことで、自分の働き方、仕事へのスタンス、会社への関わり方を見直すことができて、今は仕事がすごく楽しいですね。
永井
仕事が楽しいのっていいね。
田中
いいっすよ。
永井
会社への関わり方、働き方の変化というのはどういうこと?
田中
エピオンを作ったとき、僕が一番強く思っていたのは、自分のリミッターをカットしてどこまでも仕事に打ち込みたいということだったんですよ。会社の枠組みの中にいると、これだけやりたいのに時間的、コスト的な制約で我慢しなくちゃいけないことも多いでしょう。
そういうリミッターなしに仕事がしていきたかった。でも、同じ働き方を社員に求めるのはダメなんだなということもここ数年で学びました。
みんな自分の生活があるし、仕事上の制約を受け入れながら働いている。昔はそれがイヤだったんだけど、今は、プレイヤーとしての自分はリミッターを外すけど、経営者として社員に『リミッターを外せ』とは言わない。それでうまくバランスが取れてきて、いいチームになってきていると思います。
永井
でも、田中さん本人はいまだにリミッターを外した仕事をしているんだ? もう40代になったよね?
田中
ちょうど40歳。春先もとある案件を全部自分でやりましたね。
最初はシステム案件として話が来て、プロマネもいたんですけど、これが機能せず。自分がプロマネポジションになり、外部のデザイナーはちゃんとしていたんですが、Webディレクターがおらず、そこも肩代わりするうち、気づいたら、僕とデザイナーとコピーライターとWeb制作という形になった。けっこうハードでしたね。
永井
社長しながら、現役感がすごいね。
田中
しかも、前より仕事を進めるスピードは上がっているんですよ。時間の使い方で言うと、以前は納品ぎりぎりまで作業に当てていたから、もっと良くしようという時間は取れなかったわけです。でも、今は納品1週間前には80%仕上がり、細かい直しで詰めていく時間が取れるようになった。制作のクオリティは上がっていると思います。
永井
体力とか落ちてこない?
田中
落ちないですね。じつは今年の3月から仕事と平行して1日も休まずブログを書いているんですよ。だから、まだまだ余力があるな、と。1日10分程度のブログで、7ヶ月後には10万PV達成しました。しかも、4月には『 Best Ownd Sites-April 2016 』にも選ばれました。
永井
ブログ?
田中
最初は Ameba Ownd の機能の確認と技術の習得がてらにやってみて、こういう仕組みなのかと使っていたんですけど。実際にデータを入れてみないとわからないところも多い。それで、どうせならと思って趣味の熱帯魚のことを書き始めたら、反応がいいぞ、と。
今、Webの業界では『コンテンツファースト』『コンテンツが大事です』と言われているじゃないですか。だったら、自分でもやるべきだ、と。コンサルするときの『こう変えれば、こういう結果が出ます』という言葉への説得力が違うと思うんですよね。
永井
昔から田中さん、1日が2回あるって言っていたよね。
田中
そういう意味で言うと、今は1日が3回あるペースです。午前中が自分の時間。水槽いじりとメールチェックくらいで、あまり仕事をしていない。会社に出るのは昼からで、外回りがある時は外回りと社内の伝票処理みたいなことをやって、21時以降は自分の制作時間。2時、3時までやって家に帰るというサイクルですね。
永井
ストレスは感じないもの?
田中
ハードだけど、ストレスはないですね。そもそもWebの仕事はストレスフルじゃないですか。でも、そこからストレスを取っちゃうと楽しいだけなんですよね。
たしかに仕事をしている時間は長いですけど、働かされていると思っていないんでしょうね。10時間働けって言われるのと、仕事5時間とすげぇ楽しいこと5時間ならすぐ終わっちゃうじゃないですか。そんな感覚かもしれないです。
正解が見えないまま始まる仕事
案件を通じて磨かれていった野生の勘
今の田中さんの土台を作ったのは、永井さんとともに働いていたIT系のベンチャー企業での経験でした。時はITバブル。今の20代にはすでに遠い昔のことのようにも聞けるエピソードも飛び出しました。
永井
なんでそういう感覚になれたんだろう?
田中
さかのぼると永井さんと一緒に働いていた時代に、反面教師が多すぎたんですよ。自分では手を動かさない先輩やゴールを明確に提示してくれない上司から案件を割り振られ、振るのはいいけど、何も指示がない。今思うと、業界自体が黎明期で先輩や上司もわからないことばっかりだったんだろうな。とはいえ、成果を待っている人はいるわけで。自分で考えてアウトプットしていかなければいけない……の繰り返しでしたから。
限りなくゼロベースのところから自分で考えてクオリティを上げ、結果を出す。Webの世界に入った最初の数年はその連続でした。すると、この人の考えていることは、この辺りかな? と。勘が磨かれ、相手の言動から真意を読み取る能力が高まっていった。そしたら、ゲームみたいなもので仕事が楽しくなっていったんですよね。
永井
案件を通して野生の勘みたいなものが磨かれる感覚は、最近の仕事ではなかなか味わえない感じだよね。
田中
たしかに、今のWebの世界は状況が違うからなかなか難しいかもしれないですね。
永井
でも、当時からすごく徹夜していたよね。
田中
残業代もたくさんもらっていましたけど、使う時間がないんですよ。徹夜して、居酒屋で飲んで、ファミレスでご飯食べて、会社に戻って仮眠。それこそ1日にフォームを何個作っているんだ? みたいなこともありましたからね。僕のところに、営業の人が見積もりと今日依頼するフォームの指定を持って並んでいましたもん。
永井
やる人とやらない人がはっきりしていたよね。
田中
急に辞めちゃう人もいたし、一時期は面接も毎日やっていましたよね。今思うと完全にバブルでしたよ。ベンチャーキャピタルから資金がどかんと入り、急拡大するからとオフィスを引っ越して、そこからは社員なのか外部スタッフなのかわからないくらい人の出入りが激しくなって……。
永井
不思議な時代だったよね。
田中
でも、何をやるにしてもお初のことが多かったので、楽しかったと言えば楽しかったですよね。前例も組織もないから。
永井
誰も正解を知らないから、ゴールもはっきりしないまま、とりあえずやってみて、ダメでした……が許される時代でもあったよね。
田中
まだGoogleもないから。技術的に迷うことがあったら、秋葉原の書泉ブックマート(書店)に行っていた。あそこにネット関連の本が揃っていたから、何かヒントはないかな? って。
永井
2000年前半までは、ネット検索よりも書店で情報を仕入れる方が速くて正確だった。
田中
結局、あの会社の最後は2002年。たしか、永井さんはその前にも辞めていたと思う。
永井
そうだね。
田中
ある日、社長が社員を集めて『給料が払えなくなるかもしれない』と話し始めたんですが、僕はアホらしくなって途中で会議の場から離席しました。結局、会社は立ち直ることなく、当時のクライアントさんの仕事を引き継ぐ形で同僚4人と独立し、その後に改めて自分で立ち上げたのがエピオンです。
ラクな道よりいばらの道
苦しい選択の方が、じつは楽しい
話はモノサスとのつながり。そして、田中さんから見たモノサスの印象へと入っていきます。20代で知り合い、現在まで続く20年弱の付き合いだからこそのやりとりを、ぜひ楽しんでください。
永井
私の方はあの会社を辞めた後、モノサスの立ち上げに参加して、エピオンの前の会社のときから田中さんにお仕事を手伝ってもらっていたよね?
田中
当初モノサスはプログラマーがいなかったんですよね。それで、技術面のお手伝いをさせていただくことが多かったですね。永井さんから電話がかかってきて、『よくわからないからお願い!』という感じで仕事が始まることもよくありました。
永井
当時のモノサスはまだCODING FACTORYもなく、来た案件をなんでもやるという感じだったから。システム案件は田中さんに頼む感じだった。
田中
2010年にエピオンを作ってからは、こちらからコーディングをお願いすることもあって、そんな感じで協同していましたよね。
永井
そのうち、私たちがシステム案件そのものをあまり受注しないようになり、仕事では疎遠になっていた感じだよね。
田中
僕も大殺界で引きこもっていましたし(笑)。ただ、外から見ていて2013年あたりからモノサスの風土が変わった印象を受けています。
永井
どのあたりで?
田中
今日取材にきている『ものさすサイト』もそうだけど、タイにも出て行き、CODING FACTORYという強み以外の分野にも広げていっているのかな、と。特に対外的な露出の仕方が変わってきましたよね。
それも林さんを中心に全体が同じ方向性を見ている印象が強くて、チームがうまく回っているんだろうなと思います。
あと、僕が言うのもなんだけど、林さんは理想を掲げる少年的な部分とリアリストな経営者的な部分の両方を併せ持っている感じがします。あと少しだけ女子。
永井
そうですか。
田中
しかも、モノサスには永井さんをはじめ、林さんの考えをきちんと受け止める受け手がいるじゃないですか。うちの今の課題はそこなんですよ。キャッチャーがいないから、僕が自分で投げて、自分で受けているみたいなところがあるのが悩みです。
ただ、この1、2年で会社のいいところ、変えていきたいところが確認できたので、来年以降は新しい動きを始めていきたいなと思っています。
永井
どんなことを始める予定?
田中
販売業をやりたいな、と。
永井
EC?
田中
本当は飲食業でもいいんですけど、実際に人と物とかかわっていきたいんですよ。当然、Webを中心とした展開にはなると思うんですけど、最近は外部の人と協同することも少なくなっているし、並行して見知らぬ人と会う回数も増やしていきたいな、と。とにかく好きなこと、楽しめることを追求していきたいですね。
永井
モノサスとも改めてよろしくお願いします。
田中
もちろんです。でも、こうやって次の動き、次の動きと止まっていられないのは永井さんに23くらいのとき言われたひと言の影響、大きいですよ
永井
なんだっけ?
田中
たしか、居酒屋で飲んでいるときだったと思うけど、僕の恋愛相談を永井さんが聞くという稀なシチュエーションで『田中くんはさ、いばらの道を行くのが大好きだよね。もっとラクな道あるのに』って。恋愛も仕事もその傾向があるから、『確かに!』と思った。実際、どちらも苦しい方に行った方がじつは楽しいんですよね。
永井
言った方は今の今まで忘れてた……。
田中
でも、今日は緊張しました。正直言うと、永井さんは僕のことを見透かしている感じがして、けっこう苦手なんです(笑)。やっぱり若い頃のことを知られているのは大きいですよね。偉そうなこと言えないですもん。
永井
いやいや、今日はありがとうございました。
(インタビュー構成:佐口賢作)