2016年10月26日
「みんなで物事を作り上げていきたい」
ルーキー藤原まり絵、の巻。
こんにちは。モノサス プロデュース部の山内です。
今回の記事で紹介するのは、プロデュース部のルーキー藤原まり絵です。
約 1 年前の 11 月 2 日にモノサスに転職してきた藤原は、主に Google イノベーション東北の事務局、Google Cloud のマーケティングチームで、これまで僕が担当していたソーシャルメディア関連のクリエイティブやパンフレット、 Web の LP などのマーケティングツールの制作進行を担当しています。
入社して 1 年、チームメンバーと共にいろいろとハードな現場をくぐり抜けてきました。さて、どんな変化や思いが藤原の中で生まれ、彼女の「モノサシ」は今どんな風になっているのでしょうか。
イラストを学んだタマビ時代
そして絵を描くことから伝えたいという想いへ
藤原は、モノサスでは珍しい美大出身。多摩美術大学のグラフィックデザイン学科でイラストレーションを専攻していました。元々アニメーション志望だったのが、当時所属していた大学のジャンベ部の絵画専攻のメンバーたちの1 枚の絵を描くことのパワーに触発され、イラストレーションを専攻することなったそうです。
作品を制作しながらも、徐々に、周りの好きなアーティスト仲間たちの作品を多くの人に知ってもらいたい、彼らの作品と世の中の橋渡しをしたい、と思うようになったそうです。卒業後、就職してからもこの思いは強くなり、モノサスへの転職のきっかけにもなりました。
モノサスへの転職
「ともに生きたい人と働く」ことへの共感
就職先の建築メーカーでは営業企画として商品の販促施策を担当していた藤原ですが、周りのアーティストたちと世の中を橋渡ししたい、という思いが徐々に大きくなり、そのためには情報発信のスキルが必要だ、そうだ、Web 業界へ転職だ!と一心奮起。ネット検索で辿り着いたのが日本仕事百貨に掲載されていたモノサスの求人記事「共を支える個の力」。
「暮らすこと」と「働くこと」はひとつなんじゃないかと考えていた藤原は、記事でモノサスの林が言う「働くことは一緒に生きていくような感覚なので、それにすっと入ってこれる人がいいんじゃないかな」という言葉に感銘を受け、ここだ!と思い応募してきました。モノサス社内でも浸透しつつある「ともに生きたい人と働く」です。ちなみに募集締め切りのギリギリのタイミングだったのですが、理由を聞くと、「履歴書を丁寧に作りすぎて応募が遅くなってしまった」とのこと。マイペース...!
よくよく聞くと、自分のこれまでの仕事をきちんと振り返ろうと時間をかけて作ったとのこと。藤原らしいエピソードです。
藤原の面接には、プロデュース部 部長の真鍋、岩木、僕が参加したのですが、とにかく丁寧で誠実な印象を受けました。「ああ、絶対この人は信用できるな」という。いろいろセンスも良さそうだし、面接後、3 人で「いいんじゃない!」と言ったのを覚えています。
今思い返すと、藤原の採用を決定したのは、そうした彼女の「誠実さ」だったように思います。逆に藤原は、面接を受けてみて実際にモノサスに対してどのように思ったのでしょうか。聞くと、いわゆる仕事以外にも自分のやりたいこと(音楽活動やギャラリーなど)を並行してやっている社員がいる、そうした社風に共感した、ということ。もうひとつは、面接時に藤原から真鍋に聞いた、逆面接とでも言うべき質問「仕事をしていて一番やりがいを感じる瞬間は?」。これに対する真鍋の返答は、「みんなで、チーム全員で良い仕事を成し遂げたとき、かな」。
みんなでひとつの場をつくることを学生時代からいいなと思っていた藤原。その気持ちよさをずっと追っていきたいと思っていたので、この真鍋の返答にはぐっときたそうです。
いきなり全速力の現場へ。
そこで得られた経験は「期待以上だった」。
モノサスへ入社後、すぐに Google 案件チームにジョインした藤原は、イベントの現場オペレーションサポート、パンフレット制作、SNS の運用やメールマガジン制作、はてはサイトのアクセス解析まで急ピッチで業務を担当して進めることになります。
僕たちプロデュース部の仕事はとにかくスピードとマルチタスキング、そして外部クリエイターとの協業など横断的なスキルが求められます。チームのリソースも限られているため、体系立ててノウハウを教育できる時間もなかなか取れない。なので基本は新人でもいきなり現場に入り、OJT で業務を遂行していくことになります。もちろん要所要所での判断や品質管理のサポートはするのですが、思い返すと結構なストレッチアサインメントだったなと思います。藤原はそれでも嫌な顔ひとつせず、不慣れをひとつひとつ乗り越えていきました。かなりしんどかったとは思うけど...。
また、クライアント案件だけではなく、入社した年の忘年会委員にも選出され、多忙の合間を縫って他の委員と協力し、代表の林から何度も企画のダメ出しをもらいつつも、みんなが清々しく「1年間お疲れ様でした!」と言い合える忘年会を見事、作り上げました。
モノサス入社後、すぐにいろんな現場にアサインされた藤原ですが、そこで学べていることは期待以上だった、と言います。制作するために本当に必要なことを総合的に学べている、と。ただ依頼されたものを作ればいいのではなく、相手のことをより深く知ったり、案件の背景まで十分に理解することが重要なのだと。正直、制作会社でこんなことまでやるのか、と(いい意味で)驚きがあったようです。
こちらとしても業務をアサインする際にはその経緯や意図を伝えていましたが、最初の現場って、やっぱり目の前の作業に追われがちじゃないですか。もちろん藤原もしばらくはそうでした。でも一年経って、上記の言葉が出てくるということは、経験がちゃんと血肉化・思考化されつつあるんだなあ、と思いました。
みんながオープンになり、
一緒に物事を動かし、作り上げていく。
もうひとつ、藤原にとって大きかったことは、「みんながオープンになり、みんなで取り組むこと」。
これはそのまま、僕たちプロデュース部、ひいては会社全体が大事にしていることでもあります。誰もが発言できる環境を大切にし、対等に話し合うこと。
とはいえ、まだまだ発言やアウトプットの際には緊張する、という藤原。つい、相手の考えとずれていないかと心配して意見を言えないかったりすることもあり、今はその殻を破りたいと思っているそう。
彼女が主に関わる Google 案件では、チームはもちろん、クライアントもブレストの場を大事にしています。クイックにアイデアを出し合い、結論を出す。どんな小さなことでも発言して、場を進めていかなければいけないし、まして自分が主担当の案件では、自らも発言し、みんなの意見も引き出していかなければなりません。
彼女がこのことに気づいたのは、あるクラウドサービスの製品パンフレットのリニューアルプロジェクトの担当になった時。僕も 2 年前にその一部を担当したのですが、彼女の時は企画から編集、原稿制作およびデザインまですべて担当しました。
当時を振り返って、藤原は、最初は細かな要素に気を取られすぎて、全体を俯瞰してひとつひとつ要素を決めていくことががなかなかできなかったそう。ひとりで悶々と構成についてああでもない、こうでもないと時間をかけ、いよいよスケジュールがタイトになってくる事態に…。
どうにもこうにも進まなかった時、思い切ってクライアントとの定例会時に、さくっと作った構成を見せました。するとその場でどんどんフィードバックや、自分の思いつかなかった意見も出てきたため、あ、これはどんどん伝えていかないとまずいぞ、と。
そこから、できるだけみんなと共有しながらフィードバックを積み重ねて作り上げていく、いわば「対話型」のスタイルの重要性に気づいたそうです。
地域との関わりで気づいたこと。
藤原にとってのもうひとつの大きな変化は、地域に関わる機会がぐっと増えたこと。
特にイノベーション東北では、東北 3 県への出張や、Field Hack ONAGAWA など業務で赴くこともあれば、WoodLuck #4 といったイベントに自ら参加者として行くことも。そうした経験を通じて、藤原は、地域で起こっていることを知ることができた、と言います。つまり、これまで関わった地域で活躍する人々は、次の世代のことを考えて活動している、そういう視点に気づくことができた、と。それを意識するかしないかで、自身の今後の考えが変わってくるのでは、と。
この夏に参加した「地域のエネルギーをみんなで考えるギャザリング」 WoodLuck #4 では、まず社会がこうあってほしい、という話が先にあり、そこからエネルギーの役割の話が出たと藤原は振り返ります。そういった社会のビジョンから物事を考える観点に、地域との関わりを通じて気づき始めている、と。さらに、プロジェクトを通じて地域で物事を起こしている人たちを見ていると、リスクを取って地域の暮らしを創り上げていっているように思うと藤原は言います。そういう勇気を持っている人が新しいことを開いていくのだと、モノサスでの経験があったからこそ気づいたそうです。
また、しまなみ海道にサイクリングに行ったり(しかも短期間に二度も 笑)、モノサス登山部ではすっかりレギュラーメンバー化していたりと、普段はなかなかできない体験に積極的に参加する藤原。しかも行った先での経験と、仕事での経験を結びつけて自分なりの気付きを得ている。「暮らすこと」と「働くこと」を分けずにひとつのこととして捉える藤原らしいなあと思います。
「誰もが気持ちよく仕事ができる、そのために」
この1年間、モノサスで働いてきた藤原が仕事をする中で一番大切にしたいことは「誰もが気持ちよく仕事ができるようにしたい」という答えが。さらに、ひとつひとつ言葉を選びながら、次のように答えました。
「誰かが誰かに追従していくやり方だと、最終的にできるものがチグハグになってしまうと思うんです。それに...いいものができたとしても、みんなが喜べないと気持ちのいい働き方とは思えない。ひとりひとりがお互いの価値観を受け入れ、みんなが納得した上で物事を作り上げられる働き方こそが、みんなにとっての次につながるんじゃないかと思います。
そのためには、プロジェクトがどうあるべきかを考えるところからもっと参加していきたいんです。そのメンバーであることの自覚を持って、仕事の捉え方、関わり方のレイヤーを上げていきたい」
なかなか、いや、めちゃくちゃいいことを言うじゃない...。 普段はあまりこういったことを聞かないので、なんだかジーンとしました。正直、まだまだ知識もスキルも発展途上ですが、誠実に仕事に取り組んでないと、こういうことって本音で出てこない。この言葉に、彼女のモノサスでの1年間の成長が表れていると思いました。
最後に、この写真を。登山部の道場とふたりで行った白馬山です。
今回の記事を書くにあたり、藤原から何枚か写真をもらったんですが、個人的に気に入っている1枚です。稜線を自分のペースでゆっくりと、でも着実に歩いている感じがとっても彼女らしいなと。
藤原は、モノサスへ転職したことは、様々な人、もの、価値観との出会いだと言います。その出会いによって、自分が考える将来の姿がどんどん広がる、と。
もうすぐ始まる藤原にとっての 2 年目のモノサス生活。来年の今頃、彼女がどんな風に将来の姿を描いているのか楽しみです!