2016年11月29日
アートも仕事も「どちらもやる」から可能性が広がる。山内真の、二足ノワラジ
今回ご紹介するのはプロデュース部のプランナー・山内真。普段はクライアント先に出向し、さまざまなプロジェクトのクリエーションやディレクション、マーケティングを担当。ほとんどモノサス社内にいない彼ですが、それでも出社日には、周りにいつも人が輪を作っています。
明るく気さくな人柄で慕われている彼、実は日曜限定のアートギャラリー「Open Letter」のオーナーもやっているんです。
今回の「2足のワラジ」は、そんな山内のこれまでと今を紹介します。
INDEX
「発信すること」とは、同時に「つくること」でもある。
Open Letter での活動
まずは、そんな彼の経営する、日曜日限定のギャラリー「Open Letter」での活動を紹介します。
Open Letter は渋谷にあるコマーシャルギャラリー※です。
最初は、展示会やインターネット、雑誌など、様々な媒体で気になるアーティストを見つけるところから始まります。
「作品を見させてください」とコンタクトを取り、OK が出たら、晴れて対面。作品を見て本人と話し「いいな!」と思ったら、展示の交渉に入ります。
Open Letter で扱うほとんどは、20〜30代、今はまだ無名のアーティストたち。
「ギャラリーで展示をすることは、作家にとって大きな経験になる。
微力ではあるけど、そういう場を提供して、サポートをしたいんです」
山内にとって、展示企画も表現活動のひとつだと語ります。
「まだ知られていない作家さんのことを、どうすれば知ってもらえるだろう。そのためにどういう展示や、宣伝活動をすればいいのか?
そこを作家さんと一緒に考えるのは、やはり楽しいですね」
また、Open Letter でやりたいことについて、こうも考えています。
「『Open Letter』には、開かれた手紙という意味のほかに、公開質問状、という意味を込めています。
『それが全てではない』と提示してくれるものがアート。
世に対して、疑問や提案を投げかけるような、そういう展示をやりたい。
今、とある写真家さんと展示の話を進めているのですが、この人はすごくオルタナティブな生き方をしてきた人で、作品もそう。目指していた展示ができそうで、楽しみにしています」
アーティストと話し合い、展示内容が固まってきたら、インタビューをして文字に起こし、写真を撮影。余裕があれば映像も作って、それらをランディングページにまとめます。
そのページを Open Letter の Web サイトに掲載。Facebook などの SNS で拡散します。
展示会にはお客様が次から次へとやってきます。
異国の地から訪れた方もいるようで、山内が英語で会話する場面も。ニューヨーク留学の経験が生きています。
興味深かったのは、以前 Open Letter で展示やワークショップを開催した作家さんも多く訪れていたこと。
山内を交えて作家さん同士でご挨拶されたり、お話ししたり…。
「アーティストとお客さん、またはアーティスト同士とか。
ここでいろんな関係性が生まれて、その関係性が続いているのを見たときは、ギャラリーをやっていてよかったなー!と思います。
できるなら、なるべくそういう場でありたい」
曜日替わりで別のテナントが入るため、展示作品はその日のうちに撤収。期内は展示の状態を保つため、入念に写真を撮って記録します。
そしてまた、次の日曜日の朝に、アーティストと力を合わせて展示を作っていきます。
今までやってきたことを、ひと通り全部。
山内真の仕事とは
2011年1月入社、今年で6年目。Web プランナーとして入社しましたが、当時は Web の実制作については何も知らなかったという山内。
しかしある時期などは、プランニングからはじまるモノサスの案件ほぼ全てに関わっていたほど、Web プランナーとして活躍することになります。
山内がプランニングに入ったことで、それまでの制作体制にプロのカメラマンを入れはじめるなど、クリエイティブ面で底上げをはかったり、ワークショップ形式のプランニングの立ち上げに関わるなど、入社までの経験を還元して、モノサスのクリエイティブまわりやプランニングの強化に貢献してきました。
また、3年前からは某外資系 IT 企業に出向し、その企業の製品やサービスのマーケティングチームに参加。
そこでは、 Web 関連のクリエイション、ムービーやスチール撮影のディレクション、基幹イベントで使用されるスライドの制作も行います。
そして、モノサスがお手伝いしている「 Google イノベーション東北」。
そこでもパンフレットやムービーの制作、サイト制作のプランニングに至るまで…
聞いているだけでも「うわあ、忙しい!」と圧倒される仕事量。
まさに八面六臂の活躍を見せる山内。日々の仕事だけでもいっぱいで、休憩時間や帰宅後などの自由な時間に、ギャラリーでの細々とした仕事もこなしています。日曜日の営業なので、休日がなくなることもあるそう。
どうしてそこまで…と思ってしまうのが正直なところ。
目が回るほどの毎日なのに、二足ノワラジを履く理由。
それを探るべく、山内のこれまでを振り返ってみましょう。
人と、場所と、アートとの出会い。
山内真のこれまで
ストリートカルチャーとの出会い
出身は愛媛県。絵を描くことが趣味の父と、美術教師の母の間に生まれます。
小さい頃からアートに近いところにいて、芸術に触れることは自然なこと。
その影響か、新聞の折込チラシや工業高校に勤める父が持ち帰る大量の製図紙の裏を使って、飽きもせずずっと絵を書いていたのだそう。
そんな山内、大の雑誌好きで、同じ雑誌を何度も読み込んで、どこに何が書いてあるか暗記していたほど!
そんなとき、両親が購読していた「美術手帖」(株式会社美術出版社)で、運命の出会いを果たします。
「高校時代はアンディー・ウォーホルが好きで。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドみたいな、音楽活動もそうだし、オリジナルなスタイルを持ったファッションもかっこいいなって。アートのシーンだけではなく、ユースカルチャーのシーンにもいる。
それまでアーティストって絵を描いたりとか、それだけだとどこかで思っていたんですが、ウォーホルはその活動を通して、いちアーティストの枠を超えてシーンを作っていた。そこに惹かれました」
そこから生まれるアートの持つ、視覚だけではない、社会的情勢も盛り込んだメッセージ性の高さ…。
冒頭の山内の言葉にあった、アートが提示してくれるもの。
「“それ”は全てではない」。
そのことをを最初に教えてくれたのが、パンクやグラフィティなどのストリートカルチャーだったのです。
日本版TOKION編集長・西村大助さん、
そして「自宅ギャラリー」との出会い
高校卒業後は中学生の頃旅行して印象に残っていた北海道の大学へ進みます。軽音楽部に所属して様々な音楽に触れた事や、2年生から専攻した美学美術史によって、アートに対する造詣をさらに深めたあと、在学中毎年旅行していたストリートカルチャーの発信地・ニューヨークの大学院へと留学。
研究対象はストリートアートとアートワールドの関係。修士論文はグラフィティライターのバリー・マッギーについて書きました。
並行して、ニューヨークのカルチャーにどっぷり浸かりはじめます。当時カルチャー誌として人気だった「TOKION」のショップで、西村大助さんと出会ったのも、そんな流れの中ででした。
西村さんは当時、TOKION のWeb周りの制作をしながら画家、ミュージシャンとして作家活動を行っていた方。西村さんと意気投合した山内は、彼が住んでいたアートギャラリー「cave(ケイブ)」へと足を踏み入れます。
自動車修理工場を改装してつくった、ギャラリー兼住居のような不思議な空間を、DIYしながら活動を続ける、アート、ファッション、音楽、写真、建築などのたくさんの若手のアーティストたち…。
山内は、ここで新しいシーンが生まれている、そう感じたそうです。
その頃、情報を聞きつけて興味深く訪れたのが、週末だけ、それも自宅で開業しているギャラリーでした。
「こういうやり方もあるのか!と。
ちゃんと場所を借りて、専業で…というやり方が全てじゃない。自分たちのできる範囲でやってみようという雰囲気が、すごく好きだった」
フリーペーパー「EDUCATED COMMUNITY」
ニューヨークでの、山内の人生に関わるもうひとつの出会い。
ストリートカルチャーのバイリンガル・フリーペーパー「EDUCATED COMMUNITY」です。
その内容の面白さにハマった山内は、それから約2年間、修士論文のリサーチと執筆の傍ら、自身も編集に参加するようになります。
メンバーはプロのライターや翻訳家などで、得意分野を生かして参加していました。
とはいえ、メンバーは3〜5人程度で全員兼業。写真を撮ったりデザインをしたり、アポ取り&取材して文章を書いたり。出来上がったフリーペーパーを配布していくのも、すべて自分たち!という、完全DIY。
この「EDUCATED COMMUNITY」での「雑誌をつくる経験」は、その後の山内にとって大きいものでした。
日本へ帰国。
「Someone’s Garden」と「waitingroom」
ある雑誌社の採用試験のため、受かる気満々で帰国。が、不採用…。その後、現代美術ギャラリーのオーナーが運営する会社に就職。
「フリーペーパーやろうと思っているんだけど、真君も参加しない?」
その頃、山内よりも先に帰国し、日本版 TOKION 編集長となっていた西村大助さんからの一言で始まったのが、国内外のアーティストの作品や活動を紹介するフリーペーパー「Someone’s Garden」です。
しかし、その時山内は夜11時過ぎまでフルタイムで働く身。業務が終了してから朝まで作業、少し寝てからまた出勤する…。
ほかのメンバーも同様で、そんな風に多忙ながらも、自分たちで一から何かを作っていくことに、やりがいを感じる日々だったと言います。
そんな「Someone’s Garden」で、アートイベントのコーディネーションをする中でのギャラリーとの交流が、山内にある思いを抱かせます。
「自分のギャラリーをやりたい…。
なんとか、すぐにでもできる方法はないか?」
…そんなとき、心に浮かんだのは、ニューヨークで見た、あの個人宅ギャラリーでの風景。
「そうだ、あれだ!」そう思った山内。ギャラリー「waitingroom」(ちなみにギャラリー名は、山内が敬愛するバンド『FUGAZI』の代表曲から取ったそう)を自宅の一室で立ち上げたのでした。
これまでの経験を、プロの仕事へ。
モノサス入社、そして「Open Letter」へ
waitingroom をオープンする2年前、広告制作会社へ転職していた山内。某自動車メーカーの会員誌の編集・制作に関わっていました。
大御所カメラマンの撮影に同行して現場のイロハを学んだり、スケジューリングやアポイントメント、デザイナーとの誌面レイアウトの制作、十万単位の部数の入稿から印刷の立ち合いなど...。
読者アンケートひとつとってみても、どうすれば回答率が上がるのか、その結果をどう生かすのかを皆で考えたり、数字に落とし込んだりすることは、今までにはないことでした。
これまでの「EDUCATED COMMUNITY」「Someone’s Garden」での経験が、ここでプロの仕事として磨かれます。
その後モノサスに入社。多忙の日々を送る中、やがて waitingroom を離れ、2年後にオープンしたのが Open Letter です。
「二足ノワラジ」だからこその悩み、
「二足ノワラジ」だからこその可能性
「正直、二足の草鞋を履いていることについては、悩みも多いんです」
ふだんは会社で働きながら、日曜限定のギャラリーをやっています。
そう自己紹介するたび、また他人に紹介されるたび、山内が思うこと。
「フルタイムでアート活動を行っている人にとっては、リスクを取っていないように見えることもあると思うんです。
つまり、極端に言うと、趣味でしょ?って。
アーティストもそう。特に若いアーティストは、他に仕事をしながら制作活動を続けているいる人がほとんどだと思いますが、、何がなんでも制作一本で、という姿勢で活動しているアーティストから見るとぬるいことやってると言われてしまう」
アートでも仕事でも、それひとつに打ち込むことが美談とされる現状は、少なからずあります。
「結局、自分が何をしたくて、どこに価値を求めるかの問題だから、何が悪いとか誰が悪いって話ではない。
それでも、そういうコンプレックス、みたいなものは抱えています」
今の山内は、モノサスでの仕事、「Open Letter」での活動と、まさに「サラダボウル」状態。
日常業務だけでもフルタイム以上に忙しいので、ギャラリーのタスクが押されてしまうこともしばしば。
「とにかく時間がないんです...。時間がないというのは一番ダサい言い訳なんですが...。ギャラリーがちゃんとできないというのは、アーティストに対して失礼だし、かといって仕事はもちろんおろそかにはできない…。どちらもちゃんとやりたいんです。
人が『時間がない』と感じるのは、やりたいことが具体的にリスト化されているけど、それ割ける時間がない時。
いま、まさにその状態です...」
…それでは、いつかは仕事を辞めて、ギャラリー一本でやっていくつもりなのか。
山内はこの質問に「辞めない」と答えました。
「一番大きな理由は、経済的にギャラリー1本でやっていく自信も覚悟もまだ持てないからですけど...。
それでも、仕事から得ることはたくさんある。
今自分はWebプランナーとして、いろんなクリエイティブやマーケティングにかかわっている。そこで得たスキルや知識は、どんどんギャラリーでの活動にも生かしていきたいと思っています」
ギャラリーには、アートの価値を世に問う場であると同時に、小売店としての側面もあります。
アーティストの作品を販売し、その売り上げを活動資金にする。
あくまで「手段」である販売ですが、不景気が続く昨今、アート作品はなかなか売れません。
「とは言っても、何とか知恵を絞って工夫するしかないんですけどね。
週に一回だけオープンするギャラリーでも、アーティストにもギャラリーにもメリットが生まれ、持続していけるような、何か方法を考えたい。もちろん大げさなことではなく、小さな、あくまでスモールスタートでできる範囲ですが。
広告制作会社やモノサスでの経験がなければ、そういう発想にも至ることはなかったと思います。
さっきの、コンプレックスの話もありましたが、一方で『仕事をしながら』だからこそ、できることもあると思うんです」
例えば、誰かが自分のギャラリーを開きたい、今の仕事とは違う、やりたいことをやりたいと思ったとしたら。
いきなり仕事を辞めてその道に入る、という話はよく聞くけれど、生活もあるし、なかなか勇気がいる…。
「僕はモノサスで働いているからこそ、日曜日限定でもギャラリーをやることができて、若い作家さんの発表の場を提供できています。
こういうの、みんなやれば面白いのに!そういうギャラリーやスペースがいくつもあるのって、シーンの活性化につながることだと思うし。
だから、二足の草鞋を履くことを、もっとポジティブに考えてもいいんじゃないか。
自分自身、いまやってること、全部やっているからこそできることがあると、そう思っています」
一本でいこうとすれば、狭まってしまう道も、もう一つ仕事を持つことで拓かれることもある。
そして、それぞれで得たスキルを、双方に生かすこともできる。
そう考えてみると、たしかに「二足ノワラジ」を履くことも怖くなくなってきます。
「二足ノワラジ」だからこそ、考えられること、できること。
それがあるからこそ、山内は多忙ながら、自らの「やりたいこと」を追求できているのかもしれません。
幼少期から大学時代、ニューヨークでの生活、日本での仕事。そして Open Letter …。
アートとともに歩んできた山内は、なぜそこまでアートにこだわるのでしょうか。
「正直、こだわっている感覚ってないんです。でも、物心ついた時からそばにあって、影響も受けて、一番思い入れのあるもの。だからこそ、自分なりのかたちで恩返ししたい。まだそれがやり切れていないから、続けているんだと思います」
おお、なんだかとても、かっこいい!
そう言ってから「いやまあ、結局、好きだからやっているだけなんだけどね...!」とはぐらかす山内でした。
そんな山内のひらくギャラリー「Open Letter」では現在、竹本真理さんの個展『before and again - まえとふたたび – 』を開催中。
是非一度お運びください。
竹本真理『 before and again - まえとふたたび – 』
会期:2016 年 11 月 13 日(日)- 2017 年 2 月 5 日(日)
※ 毎週日曜日 12:00 – 19:00 オープン
※ 11 月 20 日、12 月 4 日、12 月 25 日、1 月 1 日はクローズいたします。