2016年12月07日
奥山秀野の成長の軌跡は、
モノサスの軌跡、そのものかもしれません。
こんにちは。マーケティング部・部長の龍田です。
今日はセールス部の部長を務める奥山 秀野(おくやま ひでの)を紹介します。
女性管理職の多いモノサスにおいても、異彩を放ち続ける部長です。
筆者の元部下ではありますが、モノサス歴は筆者より長く、年齢もちょっと上です。
セールス部の部長として、コーディングファクトリー、そしてモノサス全体の最前線に立つ奥山ですが、この数年で何度も変化を繰り返しながら、今に至ります。
思い返せば、最初はコールセンターの窓口業務や事務を担当する派遣スタッフでした。
仕事の波に影響されずに、にこやかにメンバーを癒してくれ、与えられた仕事をきっちりと終わらせて定時に退社する。休日明けには、自宅で焼いた手づくりパンを持参し、メンバーにふるまってくれる。正に平和の象徴のような存在でした。
それが・・・です。
今回は、今に至る奥山の軌跡を振り返ってみたいと思います。
あらゆる仕事を「吸いよせ」続けた営業就任前
前述の通り、奥山は、コールセンターや事務全般を行なう派遣スタッフでした。
そこから、どんどんと任される仕事が増えていきました。
1.Webサイト品質チェック業務を吸いよせ・・・
コーディングファクトリーが立ち上がって間もない頃です。まだまだサービスとして未熟だったこともあり、品質が安定しませんでした。奥山が担当していたコールセンターは、インバウンド(かかってくる電話に対応)なので、電話を待つ時間があります。その時間を使って、制作したWebページの品質チェックをしようということで、チェック業務も行なうようになりました。
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2.新規営業のTelアポ業務を更に吸いよせ・・・
チェック業務を行なうようになり、コーディングファクトリーの品質が改善してきた頃です。新規営業を頑張らないといけない時期でした。しかし、マンパワー的にTelアポスタッフが足りていません。「奥山さんなら、できるのでは?」と、上記業務の合間を縫いながら、新規営業のTelアポ業務も行なうようになりました。
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3.小規模案件のディレクション業務も更に吸いよせ・・・
品質、営業の目途が立ったころ、生産性アップがテーマとしてあがりました。業務を見直してみると、想定以上に小規模案件のディレクション業務の負荷が、コーダーにかかっていることが分かりました。そこを少しでも軽減できないかと、ディレクション業務を実験的に担当することになりました。
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4.派遣スタッフからアルバイトへ
コールセンターも、Webサイト品質チェックも、Telアポも、ディレクション業務も、とっくに中心プレーヤーだった奥山。各所調整・話し合いの末、ようやく派遣スタッフからアルバイトになりました。
この頃には、奥山が派遣スタッフだと思っているメンバーは、誰もいませんでしたが。
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5.超大規模案件の品質チェックチームリーダー就任、10名以上のマネジメントを担当
コーディングファクトリー史上最大案件となる13,000ページを超える案件の受注が決まりました。全社一丸となって取り組む、一大プロジェクトです。
雇用形態にとらわれずに、適材適所で仕事を任せるモノサス。重要パートであるチェックチームのリーダーをアルバイト奥山が担当することになりました。
連日連夜、締め切りに追われ、心も体もクタクタになる本当に大変な3ヵ月でしたが、奥山は、逃げることなくやり遂げました。
そして、最大の変化
ここまでも、十分変化を遂げているように感じますが、ここでまた大きな変化が訪れます。
前述の超大規模案件の納品が終わり、ホッとしていた頃です。全社的な大幅な組織改変がありました。それに伴い、コーディングファクトリーの営業担当者を急ぎ1名採用しないといけないことになりました。
各種採用媒体に募集広告を掲載し、採用活動を行ないましたが、なかなか上手くいきません。
どうすればいい人を採用できるかと悩みながら、一度整理してみようと、求めている人物像を紙に書き出してみました。
- コーディングファクトリーが目指す姿・目標を共有できる人がいい
- もっと成長していくために、新しいことにチャレンジできる人がいい
- 多くの人と接する仕事なので、バイタリティ溢れる人がいい
- 営業として、社内・社外の人を巻き込むリーダーシップが必要
- 全てが上手くいく訳ではないので、ストレス耐性も必要
- モノサスの社風に合う人がいい
-
最低限のWebサイト制作の知識は持っていて欲しい、業界経験者なら尚よし
このメモを見ながら、思う訳です。
「そんなやつ、おらへんやろ。」と。
しかし、待ったなしの状況です。
「どうやったら、見つかるかな・・・
ちょっと妥協も必要か・・・
う~ん・・・」
と、悩んでいる時に、隣の席で喜々としてTelアポをしている人の姿が目に飛び込んできました。
そう、奥山です。
「おるがな、ここに!ピッタリな人が!」
当時の筆者の上司も同じようなことを思っていたらしく、「何故今まで気づかなかったのか」と思いながら、「営業やってみない?」と奥山を誘いました。
その後、何度か話し合いをして、晴れて、営業奥山が誕生しました。
そして、これが後の「営業チームリーダー就任」、現職の「セールス部部長就任」へと続いていく訳です。
営業チームのベースをつくった、自覚なき奥山流営業
営業1年生の頃の奥山の営業に定期的に同行をしていました。営業方法を指導するためです。
ある日のことです。その日の営業は、具体的な案件があり、相談を受けるというものでした。案件相談を受けた際、その案件の予算を把握することは、営業にとって重要です。筆者は、タイミングや聞き方等、気を配りながら質問をします。
しかし、奥山のそれは全く違いました。「えっ、今、それ聞いちゃう?」というタイミングで質問をし、お客さんも自然な流れで答えてくれていました。
これを見て、「こんなやり方もあるんや。」と驚いたのと同時に、営業方法について事細かに教えるのは辞めることにしました。
変に自分のやり方を教えると、奥山の長所を殺しかねないと思ったからです。
会社案内の仕方や、見積書作成方法等、コーディングファクトリーの営業の基本だけを教えて、あとは、自分で考えて動くという余白を残すことにしました。
この「基本」と「考えるフレームワーク」だけを教えて、後は自分で考え、実行するというスタイルは、その後の営業チームの教育方針にもなっています。
上の例もそうですが、筆者は、奥山を営業の天才だと思っています。
本人にその自覚はないようですが。
奥山流営業は、二つの顔が見事に共存しています。
ひとつは、ゴリゴリと押しまくる猛獣のような顔。
もうひとつは、お客様やメンバーに寄り添う天使のような顔です。
そのバランスが絶妙です。
猛獣感がすごかったエピソードをひとつ紹介しましょう。
コーディングファクトリーは、定期的にセミナーを開催しています。基本的には、自社で主催をするのですが、一度、他社主催セミナーに登壇する形でセミナーをしたことがあります。
他社主催なので、個人情報保護の兼ね合いで、参加者リストをいただくことができません。主催者からは、「リストは渡せないけど、セミナー当日に名刺交換はどんどんしてもらっていいですよ。」と言われていました。
営業にとって、セミナー参加者リストは、大事な資源です。
当時の営業チームは、奥山ともうひとり、隣にいる奥山イズムを見て育った香取玲美という女性の二名体制でした。
筆者は、この二名にこう発破をかけました。
「セミナー参加者リストは、営業にとって、めちゃくちゃ大事。全員と名刺交換するくらいの勢いで、よろしく。」
そして、セミナー当日。
開場時間になり、ぞくぞくとお客様が集まり始めました。
しかし、なぜか会場の入り口で行列ができています。
受付は、エレベーターホールにあるので、会場入り口で行列ができるはずがありません。何故かなと思って見に行ってみると、入り口の両サイドに奥山と香取が立っているではありませんか。そして、入場する人をせき止めて、順番に名刺交換をし、交換が終わった人から入場しているのです。
その姿は、まさに風神雷神。
主催者に怒られるのではないかと、ハラハラしました。
しかし、あまりにも自然にやっているので、これが普通だという空気が漂い、許されてしまいました。
「この発想は無かった」と、驚き、呆れ、笑ってしまうのと同時に、自分達でどうすればいいかを考え、実行に移す姿が頼もしくもあり、「自分で考え、実行することを楽しめる人が、伸びていくんだろうな。」とも感じたエピソードでした。
もちろん、参加者全員の名刺をしっかりゲットできました。
もう一つの天使の顔は、長くなるので、割愛します。興味がある方は、是非、奥山に案件の相談をしてみてください。
「オックーに相談してからで、いいですか?」
ここまで、奥山の軌跡を振り返ってみました。
常に新しいことにチャレンジしてきたことが、伝わりましたでしょうか?
実際、奥山は新しいことにチャレンジすることが大好きです。
というより、マンネリが苦手です。
しかし、そのくせ、心配症というか、ビビリなところがあります。
毎回、「これやってみない?」と、新しいことを提案すると、「自分ができるのかな?」「大丈夫かな?」という不安が出てきてしまいます。
そして、そんな時に必ず返ってくる言葉があります。
それが、この章のタイトル、「オックーに相談してからで、いいですか?」です。
オックーとは、奥山のご主人のことです。ご主人のことをオックーと呼びます。
毎回返ってくるこの返答に、「あんたもオックーやろ。」とツッコミたい気持ちを抑えるのは、最初だけでした。
何度も聞いているうちに、この言葉が、「興味はある、やってみたい。でも本当に自分で大丈夫かな?」と思う気持ちを整理し、覚悟を決めるための助走の言葉に聞こえるようになってきたのです。
今までそうやって、何度も葛藤し、相談し、覚悟を決めてきたから、それぞれの仕事で結果を残してきたのだと思います。
こうやって、変化を続ける奥山ですが、ひとつだけ変わらないなと思うことがあります。
それは、奥山の「人の役に立つことが好き。それを意気に感じる。」という心根です。
営業になった時から今に至るまで、奥山が一貫してよく言うことがあります。
「自分をバイネームで頼ってくれる人をひとりでも多く作りたい。」
変化を繰り返す中でも、この心根だけは、今も変わっていないのです。
そして、こうして振り返ってみると、奥山の成長の軌跡はコーディングファクトリーの、そしてモノサスの軌跡そのものであるように感じてなりません。
イビツだけど確実に上を向いて描き続けてきたこの軌跡が、モノサスならではであり、モノサスそのものに見えてしまうのです。
今も、部長として新しいことにチャレンジしている奥山。
自分自身の、そして、部下達の新たな成長の軌跡を描いてくれることを期待してやみません。