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Feb,2017
羽賀 敬祐
投稿者:羽賀 敬祐
(プランナー)

2017年02月20日

やれるかを考えるのではなく、
やるんだと決めたこと
~広島から神山、そして東京へ~

TOPICS

羽賀 敬祐
投稿者:羽賀 敬祐(プランナー)

初めまして。神山ものさす塾第二期を昨年末に卒業し、今年からマーケティング部の一員になった羽賀です。
今回は、私が生まれ育った広島を離れ、神山での経験を経て代々木のモノサスに入社するまでの経緯を綴らせていただきます!
 

広島で26年、洋服屋で6年

私の出身は広島県。
瀬戸内海に面した穏やかな気候、紅葉やウィンタースポーツが楽しめる県北の雄大な山々。県内には2つの世界遺産(厳島神社、原爆ドーム)があり、市内には7本の大きな川が流れています。
そんな、四季折々の変化が美しい土地で生まれ育ちました。名産品は牡蠣にレモン(尾道のレモン農家、たてみち屋さんはモノサスでもお馴染み!)、ソウルフードのお好み焼(広島焼と言うと広島県民は怒るので気をつけて…)などなど。

広島のことが大好きな私ですが、地元野球チームやサッカーチームには無関心。
休日には、広島市内に古くからある映画館にふらっと立ち寄って映画を観たり、美術館へ足を運んで難解なアートと向き合ってみたり。


瀬戸内海の多島美に心癒される、広島の風景。

そんな私が身を置いていたのは、ファッション業界。
物心ついた頃から洋服が好きだった私は、広島市内の老舗セレクトショップのスタッフとして、約6年のあいだ店頭販売やバイイングなどに携わっていました。
店頭でお客様と対話しながらコーディネート提案や課題解決の手助けをしたり、世の中のトレンドを考慮しつつ、お店らしさのある商品セレクトとは?と頭を悩ませる日々を送っていました。


寝ても覚めても洋服のことを考えていた販売員時代。

Webに興味を持ったのは、お店の情報発信ツールとして SNS( Instagram とFacebook )を利用していたことがきっかけです。しかし、実際に Web に関する知識や経験はゼロ。
そんな私がモノサスという会社を知ったのは、とあるサイトのひとつの記事がきっかけでした。

日本仕事百貨」というこのサイトは、モノサスのホームページでも何度か紹介されている求人情報サイト。
”生きるように働く人の仕事探し” というコピーが印象的で、新しい働き方を模索している人のための道しるべとも言えるものです。
広島で働きながら、この先、このまま同じ場所で働き続けるというイメージが持てずにモヤモヤしていた私。そんな折、何気なく日本仕事百貨を覗いてみると、そこで見つけた気になる一文。

「ともに生きていきたい人たちと働く」
これは、代表の林の言葉。それと同時に目に飛び込んできたのは “Web + 田舎” という見慣れない組み合わせ。
振り返ってみると直感的だっだのですが、「受けるしかない」とそのとき思いました。
(そのときの記事はこちら
 

標高600m、神山で学んだ多くのこと

運良く塾生となり、モノサスで一昨年から行っている雇用型職業訓練「神山ものさす塾」の二期生として、昨年7月に初めて足を踏み入れることになった徳島県神山町。
それまで行ったことも聞いたこともなかった土地で、日本各地から集まった10名とともに、神山スキーランドホテルで一か月間の共同生活からスタートしました。

日中はコーディング、夜は授業の復習、たまに探検。
それまで広島を出たことはおろか実家を出たこともなかった私にとって、日々の生活は全てが新鮮。メンバーと夕飯を作ったり(料理ができない私は主にサポート役)、ホテルを切り盛りするお父さんにイノシシのさばき方から、燻製の作り方、徳島に眠るソロモンの宝の秘密?!まで教わりました。

 


左:スキーランドホテルのお父さんに、イノシシのさばき方を教わる様子。
右:巨大なダクトを使ったお父さんお手製の燻製器で、大量の肉を燻しました。

今まで経験したことのないあらゆることを吸収する日々。
スキーランド生活の後は、縁あって殿宮という神山の中でも秘境のような山の上にある古民家(標高なんと600m!)で、塾生男子5人での生活が始まりました。
生ごみを処理する為にコンポストから手作りしたり、ロケーションを生かしたイベント(天の川を鑑賞しながらの夕食会や映画会など)の開催、敷地内に生った大量のゆずを使って4K徳島映画祭に出店したり…
一見すると馬鹿らしいと思えることにでも、本気で取り組めば周囲に影響を与え、自然と巻き込んでいく。日常のなかでアンテナを張り巡らせ、面白いことを探し、取り組むときは常に全力の塾生たち。これまで、どちらかというと受け身の姿勢で生きてきた私は、そんなメンバーに影響を受けたことは言うまでもありません。


4K徳島映画祭でゆずを売った時の様子。地元の新聞やテレビに取り上げられ、ひそかな反響を呼びました。
 

自分は何者で、どこに向かいつつあるのか

半年間受けてきた授業のなかで、私がマーケティング部に興味を持つきっかけになったとも言えるのが、栃澤桂司さん※1と西村佳哲さん※2による授業。

※1 栃澤桂司(とちざわけいじ)さん・・・コネクティングロッド代表、コピーライター、クリエイティブディレクター。神山ものさす塾第二期のライティング講座を担当。

※2 西村佳哲(にしむらよしあき)さん・・・リビングワールド代表、プランニングディレクター、働き方研究家。神山ものさす塾第二期のインタビュー講座を担当。
 

栃澤桂司さんによるライティング講座では、鉛筆と消しゴムだけを渡されてスタートしました。

「何を言うかを明確にし、誰に向けての文章で、そこに客観性があるか」

当たり前のことでも、それを意識して書くのとそうでないのとは雲泥の差。毎回様々なお題を与えられ、ひたすら手で書いていく授業はとても楽しく取り組めました。
具体的なお題をいくつか挙げると、
「地図を文で書き、それだけを頼りにその人が目的地にたどり着けるように説明する」といったものや「自分の好きな場所を、読む人が行きたいと思えるようなシズル感のある文で紹介」したり、「人を惹きつけるキャッチコピー」にトライしたり。
「自転車に乗る人が、こぼしたり、舌を火傷せずにコーヒーを飲みたい。どうしたらいいだろうか?」という、なんともワガママなコーヒー好きサイクリストのための解決策を一枚企画書にするというお題もありました。

どれも難題でしたが、栃澤さんが初めに言った「思いを伝えるのは基本的には言葉しかない」というメッセージを胸に、ただひたすら鉛筆を握りしめる日々。


一枚企画書の課題で、塾生同士でブレインストーミングを行いました。

西村佳哲さんのインタビュー講座では、私が普段、いかに人の話を聞いていないかということに気づきました。
「話をする側ではなく、聞く側が圧倒的に力を持っている」という西村さん。
無視や横取り、否定や先回り。話の聞き方ひとつでこれほどまでに、相手に影響を与えるのかと、ワークショップの中で思い知りました。

「無視」を「反応」に、
「横取り」を「尊重」に、
「否定」を「受容」に、
「先回り」を「ついてゆく」に。

それだけで、相手は本当に話したいことが話せるようになる。
そうするためには、相手の趣味や価値観以上に “相手自身” に興味を持つこと。
そしてそれは、「あなたは一体何者で、どこへ向かいつつあるのか」という問いにつながるのだということを教わりました。

これは、自分自身に対する問いでもあります。
相手を知ることで、自分を知る。そこから、自分は一体どうなりたいのか?自分はどんな人間なのか?ということを再確認できたのです。

栃澤さん、西村さんから“言葉の伝えかた”と“話の聞きかた”を学んだことは、私がこれからどう働いていくかを改めて考えるきっかけとなりました。
そしてそれが、いまのプランニングと取材の仕事(まだまだこれからですが…)にもつながっているのだと思います。

ともに生きていきたい人たちと働いていく

以前までの私は、新しいことを始めるときや課題に直面したとき、「本当に自分にできるのだろうか?」と、考えてばかりで行動に移せずにいました。石橋を叩いてばかりで、先に進めなかったのです。

私は神山で、これからの指標となるひとつのキーワードに出会いました。それは、代表の林が塾生を前にして言った、「やれるかを考えるのではなく、やるんだと決めること」が重要だという言葉。
失敗を恐れて躊躇するよりも、「よし、やろう!」と決めてしまうこと。もしそれで失敗してしまったとしても、それは経験として自分の糧になる。

そして、この半年ちょっとの間に出会った、それを実践している人たち。
そんな魅力的な人たちに共通して言えるのは、暮らしと仕事、それぞれが緩やかに繋がっているということ。神山ものさす塾に集まった塾生たちも、働きかたや暮らしかたを模索する中でそこに辿り着きました。

トライ&エラーを繰り返す中で自分の “生きかた” を作り上げていく。
一般常識では図ることのできない価値観、自分のモノサシをもって作り上げる生きかたをしている人たちは、とても素敵に見えます。
そんな人たちと暮らし、学ぶことは自分を知ることに繋がりました。そして、私はこれからそんな人たちとともに働いていくことに決めました。

広島から神山、そして東京へ。新たな道のりは、まだ始まったばかり。
皆さま、どうぞこれから、よろしくお願いいたします。

この投稿を書いた人

羽賀 敬祐

羽賀 敬祐(はが けいすけ)プランナー

マーケティング&セールス部 BtoBチーム所属。広島県生まれ。洋服の販売員を経てモノサスへ。休日は美術館やアートギャラリーに足繁く通っている。料理が作れないのに器集めにハマり中。好きな場所は日本民藝館。

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