2017年10月20日
映画 × LGBT
映画を通してLGBTを知ろう part.01
文化の秋、映画の秋ということで、今日はいくつか映画作品を紹介したいと思います。
テーマは「LGBT」。
これまで、品質管理部の乾(いぬい)が、LGBTを知るための記事をいくつか投稿して来ましたが、今回は映画をとおしてLGBTを考えてみようと、5人のものさすメンバーが1作品ずつ選びました。
マイノリティとマジョリティの境界線って?女性性と男性性って?どちらかを選んだらどちらかを捨てないといけないの?アイデンティティって?家族って?…。
今回紹介する作品は、そんな数々のクエッションが立ち上がるようなラインナップとなっています。
それではものさすLGBT映画特集、はじまります。
INDEX
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恋人から「性別を変えたい」と告白されたら...。
『わたしはロランス』』(紹介者 和田 亜也) -
体は男でも、心は真っ赤なハイヒールに憧れる女の子
『キンキーブーツ』(紹介者 田中 夏海) -
エイズと同性愛者にまつわる偏見を法廷で覆してゆく
『フィラデルフィア』(紹介者 玉置 喜宣) -
みんなで同じ人を好きになったらどうする?
『胸騒ぎの恋人』(紹介者 乾 椰湖) -
あたらしい家族のかたち
『ハッシュ!』(紹介者 中庭 佳子)
恋人から「性別を変えたい」と告白されたら...。
『わたしはロランス』
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紹介者
和田 亜也 (ディレクター)
恋人から「性別を変えたい」と告白されたら...。
この映画は、男性から女性になりたいと言うロランスと、その恋人のフレッドの10年にわたる物語です。
原題(LAURENCE ANYWAYS)の通り、ロランスはロランスのまま一貫して生きて行くのですが、フレッドはさまざまな葛藤や決断に苦しみます。
それまでは、“普通”のカップルだったところから一転、マイノリティの側に身を置く立場になってしまったとき、どうするか、フレッドは葛藤します。マイノリティとしてロランスと生きるのか、世間が言う"普通の"女性としての幸せを手に入れるのか...。
ロランスが性別を変えたいと言ったことで、ロランスの心の中だけにあったことが表面化し、フレッドはLGBT当事者のパートナーというマイノリティの立場になりました。当事者の周りにいるごく“普通”の人々が、マイノリティの当事者にならざるを得なくなったときの心の揺れ動きが表現されていて、それが大変衝撃的でした。私が今まで見てきたLGBT映画では、ロランスのような当事者にだけ大きくスポットが当てられ、かわいそうな存在として描かれるイメージがありました。
ですが、この作品はロランスのような当事者よりも、フレッドを代表とするごく“普通”の人々にスポットが当てられ、それぞれの決断、迷い、葛藤などを、さまざまな映像で表現していきます。
特にこの映画の一番のポイントは、フレッドの心の揺れ動きだと思います。“普通”の人がマイノリティとして生きることを迫られた時に、どのような葛藤や、罪悪感、苦しみを感じるのか、周りの人々にどのように見られるのかを観客に有り有りと見せます。
当事者のロランスは長年かけて、自分自身のことを受け入れていますが、フレッドには、まだその心の準備もできておらず、ロランスのことをすごく大切に思う反面、世間体や、周りの目を気にする自分の心や、将来の不安に悩み苦しみます。このマジョリティであるフレッドの視点を描いていることこそが、この映画のミソだと思います。
この作品を観て、自分と自分のパートナーに重ねて見ずにはいられませんでした。
私は、LGBT当事者として変わらない私のままで生きて行くしかないけれど、私と生きることを選んだパートナーをマイノリティにしてしまい、フレッドのような気持ちにさせてしまうのではないか、と。
しかし、私が自分の生きる道を自分で選んだように、生き方は自分で選ぶものです。
ロランスとフレッドがどのような道を選んで生きて行くのか、映画の世界に浸りながら、自分の人生をも振り返り、これからの生き方を考えるきっかけになった作品です。
体は男でも、心は真っ赤なハイヒールに憧れる女の子
『キンキーブーツ』
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紹介者
田中 夏海 (ディレクター/コーダー)
「紳士に淑女に、そしてまだ…どちらにするか迷ってる皆様!」
2006年のイギリス・アメリカ合作映画「キンキーブーツ」を紹介します。
潰れかけの紳士靴工場の跡継ぎ息子・チャーリーが、ドラァグクイーンのローラと出会い、起死回生の策として「紳士用の『特殊な』ブーツ」を作りはじめる―という、実話を元にしたコメディ映画。
ブロードウェイをはじめ、最近では日本でもミュージカル化された本作。公開当初の評価は低かったものの、じわじわと名作として認知されてきています。
特筆すべきキャラは、なんと言ってもドラァグクイーンのローラ!
彼女の体はマッチョな黒人男性。だけど、仕草・感情・言葉遣い…どこをとっても、そこにいるのは一人のいじらしく、勇敢で強い女の子なんです。
心は真っ赤なハイヒールに憧れる女の子でも、体が男であることでたくさん辛い思いをしてきたローラ。憧れの細く美しいハイヒールを履いて、どんなに優雅に振る舞っていても、冷やかしや罵倒・偏見の目は容赦なく彼女を襲います。それでも、自分をしらけた目で見る相手にさえ、思いやりを忘れない姿には心を打たれます。
ただ、彼女はトランスジェンダーではありますが、自分の性別を、明確に男女どちらに寄せるつもりも無いように見えます。いろんな人に「男なの?女なの?」と聞かれても複雑な顔をしていましたし、チャーリーに「どちらかにしろ」と言われたときも、彼女は答えませんでした。
男でも女でも、どちらでもないし、どちらでもいい。ドラァグクイーンとして、ローラとして、人として生きる「私」を見て!彼女はそう言いたかったのではないでしょうか。
そんな彼女と触れ合ううちに、主人公のチャーリーも、自然に偏見を捨てていきます。
大切なのは、いかにカッコ良くて、美しくて、セクシーかどうか!そこに「心や体の性別が何であるか」は関係あるのか?いや、全く関係ない。必要なのは「自分であること」なのだ―
この映画は、そう思わせてくれます。
私もローラみたいに、強くて思いやりのある、カッコいい人になりたい…。あと、これぐらいかわいい女にもなりたい。それと、思いっ切りセクシーなハイヒールを、颯爽と履きこなしてみたい!今は5センチくらいのヒールで足が痛くなってしまうので、なかなか遠い道のりではありますが。
全編通してテンポ良く、それでもイギリス映画らしい細やかさで、観ていて自然に感情の入る映画でした。観やすい作品だと思います。
ローラの示したあり得ないくらいヒールの高い靴のデザイン画を一目見て、どう作るか?を答えてしまう靴職人のかっこよさも必見です。難問であればあるほど腕の見せ所ですもの。
ものづくりって垣根が無くて、ホントにいいですよね…。
エイズと同性愛者にまつわる偏見を法廷で覆してゆく
『フィラデルフィア』
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紹介者
玉置 喜宣 (コーダー)
この映画は、エイズと同性愛者にまつわる偏見が今よりも強かった1990年頃に、そのような偏見を法廷で覆してゆく実話がもとになった物語です。
同性愛者である主人公のベケットは、エイズであることをきっかけに法律事務所を不当に解雇されてしまいます。進行していく病気、病気が原因の解雇という社会的権利のはく奪、その中でも解雇した相手企業と果敢に闘います。
彼の弁護をしたミラーは、最初は彼に偏見を持ち、触れることすら避けていました。
しかし彼を知るうちに、男女である前に彼の人間的な魅力や心の美しさに惹かれていきます。ベケットを受け入れ理解するとともに、エイズや同性愛に対する世間の差別的な風潮や被差別者のふざけた態度に怒りを抱くようになります。
誰しもが健康でいたいし、今の生活を変えたくない、自分だけでなく、自分の家族や大事なものを守りたいはずだと思います。
最近ではLGBTを隠す必要がない時代になりつつあり、俳優のウェントワース・ミラーのように同性愛者であることを周囲に打ち明ける人もいます※1。また、平成27年の厚生労働省エイズ動向委員会の報告によるとエイズは年々増えつつあります※2が今でも決して多数派ではないため、弁護士のミラーのように、日常は意識していなくてもそれが身近に迫ると非日常であることや既成概念から強い拒否反応を示してしまうものです。
LGBTと言われる人たちにおける普通に生きたいという強い思い・人権が奪われることへの恐怖・自分らしさの追求など、対してLGBTではない人たちにおける未知の観念への拒絶や生理的に受け入れられないという感情、そして健康や生存への欲求など、どちらにも正しく等しく守られる権利と感情があります。
この映画を見て重要だと感じたことは、かわいそうだとか差別はいけないといったような安直な感情ではなく、LGBTの人たちが弱者ということでもありません。
男であるか女であるか性別や身体のことは重要ではないのだということ。まず1人の人間であること。そう(LGBT)でない人と同じように、時に笑ったり泣いたり怒ったり、時にふざけたり冗談を言ったり、痛みを感じたり時に誰かを思ったり、さまざまな思いと共に人生を送ってきたひとつの個人であり命だという、根本的なことを思い出す必要があると思います。
なぜなら、それ(LGBT)以外は何ら自分たちと変わりないからです。
法廷という場であり対立した立場ではありましたが、この映画のように地道に議論を重ねつつ、相手の人となりを知り、理解を深めていくことが肝要だと思いました。
そのような点から、20年以上も昔、まだLGBTという言葉すら無かったであろう時代に、この映画はLGBTの根幹となる同性愛や病気への偏見や理解不足の解消に大きく貢献したのではないかと思います。また私も自身の男女観を振り返る良いきっかけとなりました。
みんなで同じ人を好きになったらどうする?
『胸騒ぎの恋人』
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紹介者
乾 椰湖 (チェッカー)
監督はカナダ出身のグザヴィエ・ドラン、28歳。いま最も注目されている若手映画監督の1人です。
自身もゲイであることをカミングアウトしており、彼の他の作品にもLGBTの登場人物がよくでてきます。こちらは2010年公開(日本公開は2014年)のドラン監督作品2作目です。
この映画は「なかなかないけど、ありえなくはない」という人間関係が展開していく話です。
LGBTを身近に感じられるテーマかと思い、今回紹介することにしました。
親友同士であるマリー(ヘテロ)とフランシス(ゲイ)が、ニコラ(ヘテロ)という同じ男の子を好きになってしまいます。多くの人が経験したことがないであろう関係が展開していきますが、自分だったらどんな言動をとるかぜひ考えながら見てみてください。
また、自分なら誰のことが好きになるか考えながら見るのも楽しいかと思います。3人とも美男美女ですが私はニコラが好きです。
LGBTがテーマの映画というと、まじめな話だったり、お勉強感がでたりして、難しい話かも…と抵抗があるかもしれませんが、この映画は全くそんな雰囲気は感じません。
また、LGBTの恋愛って聞いてもいいの?とドギマギしてしまう人もいるかもしれませんが、作中では、ごくごく自然な展開をしていきます。
私が大学時代に所属していたLGBTサークルでも、「みんなで同じ人を好きになったらどうしよ~」とか、「私はA君を好きでも、A君はB君のことが好きなんだもんね」とか、
意外と「あ、聞いていいんだ」ということも多く、重い話にならずキャッキャしていました。
とはいえ、複雑な関係ではあるので、
どうすればみんなが幸せになれるの~?と切なくなったり、ニコラの言動に一喜一憂する2人がかわいらしかったり、ドラン監督作品のなかで1番好きな映画です。
また、ファッショナブルなことでも有名なドランですが、衣装や美術ももちろんおしゃれです。
映画のポスターもとってもかっこいいのでチェックしてみてください。
3人の関係がどうなっていくのか注目です!
あたらしい家族のかたち
『ハッシュ!』
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紹介者
中庭 佳子 (編集長 兼 デザイナー)
LGBT映画特集のラインナップに邦画もいれたい、ということで、さんざん迷って結局これを選びました。2001年の作品でもう16年も前の作品ですが、今観てもその衝撃は鮮烈です。
ストーリーは、直也(高橋和也)と勝裕(田辺誠一)のゲイカップルと、結婚はしないけど子どもが欲しい朝子(片岡礼子)という女性の3人が、自分たちは家族をつくることができるのか?という問いの中で、戸惑いや葛藤を描いた作品です。
直也と勝裕は仲がよいカップルですが、セクシャルマイノリティに対するそれぞれの向き合い方が異なります。
たとえば、直也はゲイであることを親にも職場にもカミングアウトしており、勝裕との仲も公表したいと考えていますが、勝裕は直也との関係もゲイであることもひた隠しにしています。
そんな二人に出会った朝子は、望まない妊娠で2回の中絶を経験している女性。勝裕の目をみて「この人は父親になれる」と直感した彼女は、次回勝裕に会った時に「あなたの子どもが欲しい」と告げます。恋人になりたいとか結婚したいわけではなく、精子だけ提供してくれないか、というお願いをしたのです。
そこから3人の奇妙な関係がはじまります。朝子の提案に直也と勝裕は戸惑いながらも、3人が子どもを持って家族になれるのか、徐々に可能性を探りはじめます。ですが、3人の関係性を理解できない周囲の反発に苦しみもします。
そんなある日、勝裕の兄の訃報が知らされます。兄の突然の死に深く沈み込む勝裕と、彼に寄り添う直也と朝子の3人が川原でたたずむシーンは、突如訪れた勝裕の家族の解体と、3人の新しい関係性の構築されていくコントラストが鮮やかです。
最後は「二人目(の子ども)は直也と作る」という朝子の発言に3人で笑いながら鍋を囲む、家族のように親密であたたかいシーンで幕を閉じます。
この作品は、セクシャルマイノリティであることへの偏見や、女性の結婚・出産などへの社会からの期待にあらがう人々が主人公です。
今よりもっとLGBTへの理解が乏しく、ゲイカップルへの社会的な肯定も薄かった時代背景で、直也と勝裕が、ゲイであることや同性のパートナーがいることを、社会に公表するしないの間で揺れていますし、恋愛、結婚以外の形で家族を作ろうとする朝子が、社会に理解されない葛藤が描かれています。
従来の家族像(異性同士の夫婦とその子どもで構成される家族像)とは逸脱し、擬似家族化していく彼ら3人の生き方は、社会的抑圧を受けてきたLGBT当事者や女性が、既存の枠を超えた選択もできるし、家族の在り方も多様でいいんだと提案しているようにも感じます。
これを観たときに、セクシャルマイノリティである人や結婚を望まない人が抱える将来の不安や、社会への違和感が如実に迫ってきました。異性恋愛や結婚で支えられている社会から逸脱した人々の生きにくさを、まざまざと突きつけてきます。
LGBTに限らず、私たちのまわりには多様な人々がいてそれぞれ生き方があります。みんなが生きやすい社会とはどんなものかを、考えるきっかけになる作品だと思います。
今回紹介した作品では、LGBT当事者だけではなく、その家族や恋人の視点から描かれた作品も集まりました。
また、時代によって、社会のセクシャルマイノリティに対する受け入れ体制や認知度も異なるとあらためて気づくことができたのも、いろんな時代背景のストーリーが揃う映画ならでは、だと思います。
ちなみに今回、グザヴィエ・ドラン監督の作品が2本ピックアップされましたが、若手監督ながら多作で、LGBTを知ることができる映画作品が他にもありますので、ご興味ある方はぜひ。
楽しく映画を観て、LGBTのことを知る、この記事がそのきっかけとなるといいなと思います。
それではまた。