2017年12月04日
今までの資本主義に
何かをプラスしてみること
~里山資本主義・実践者交流会に参加して~
周防大島サテライトオフィス(準備中仮オフィス)勤務副社長の永井です。
こちらでの生活にもだいぶ慣れてきて、たまに東京に行くと、朝の新宿駅で人にぶつからないようにするだけで、かなり緊張して注意しながら歩いている自分に気づきました。今まで何気なくやれていたことも「都会ならではのスキル」だったんだな、などと、ヘンな感慨にふけっております。
さて、先日、周防大島で開催された「里山資本主義・実践者交流会」に参加してきました。「里山資本主義」とは、2013年に発売された『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』から広がった概念で、書籍は40万部の大ヒット。従来の「マネー資本主義」に変化を促す考え方として注目を集めています。その著者である藻谷浩介氏や、本に登場する実践者の方々が一堂に集まるという交流会に、初心者の私も興味津々で参加してみました。
そこで聞いた「里山資本主義」の考え方や、「里山資本主義が体現されているような場所」と称される周防大島に住んでみて、私自身が感じていることや考えていることについて、今回はご紹介したいと思います。
「社会人」を終えた時、人生は3分の1も残っている
私は今、46歳。大学を卒業して社会人になってから、早いものでもうすぐ25年になろうとしています(書いていて自分でビックリしました!)早めにリタイアするとして15年、長くても20年働けば「会社勤め」は充分まっとうしたと言えるお年頃になります。
こう考えると、今から何かを学んたり、新しいことにチャレンジするのは、ちょっと遅かったかも、なんて気持ちにもなりますが、それを里山資本主義的に考えると・・・
藻谷氏は、80代までちゃんと「現役」でいることを考えようと提唱します。
確かに周防大島では、おばあちゃんが、子や孫に送る分まで野菜はぜんぶ育てるし、おじいちゃんは、空き地の草刈りや家族が食べる魚釣りに精を出しています。大半が70代~80代の方々です(!)。畑仕事や釣りは、いわゆるお金を稼ぐ「仕事」ではありませんが、まわりから必要とされて、まわりの人に喜ばれるために動くという、本来の「働く」という意味において「現役・仕事人」の毎日だといえます。
私がこれまで身を置いてきたインターネット技術の世界では、業界自体が若いため「35歳定年説」などという言葉もあるくらいです。50代、60代…と歳を重ねても現役で活躍する、カッコいいモデルとなる働き方というのは、とても限られていたように思います。
しかし、女性の平均寿命が87歳をむかえる今。46歳の私は…残り41年!社会人になってからの25年をはるかに超える時間が待っています。仮に60歳で定年になったとしても残り27年、つまり「社会人」を終えたあとも、人生の時間は1/3も残っているのです。
さて、ここからの40年をどう過ごしていくのか。
できることなら、自分の選ぶ仕事、楽しいと思える仕事で、死ぬまで現役の仕事人でいたい私にとって、周防大島で「働き」続ける大先輩たちの姿には、たくさんのヒントが詰まっているような気がしています。
1%の自給自足で得られる生活の確かさ
藻谷氏は「自分が使う水・食料・燃料を、1~99%の範囲で自給自足できるようになること」を推奨しています。
もちろん現代の生活では、食べ物を買うのも家賃も必要。ガソリン代もいるし、たまには外食や遊びにも出かけたいし、洋服も、東京に来るための交通費も必要です。自分が持っている労働力や能力、ノウハウ等を(なるべく高く)売って、資本主義の世の中でお金を稼ぐことは重要だし、むしろ稼げるようになることは必須だともいえます。
ただし、そんな中でも、自分の基本的な生活(水・食料・燃料)の一部を、お金で買う以外の方法で得る手段を持っていることが、セイフティガードになるというのです。
これについて、今となっては笑い話の思い出があります。
周防大島の前に、徳島県神山町にサテライトオフィスを構えるかどうか検討していた頃、代表の林が、神山進出に伴うメリットとともに、こんなことを口にしたのです。
「東京で何かあっても、スタッフみんなの食べる米くらいはまかなえる状態にしたい」
正直言うと、その時の私は「何考えているんだこの人は…」と思っていました。当時大変な状況が続いていた震災ですら、餓死で亡くなった方はいないと聞いています。そんな時に利益を大きくするのではなく、米をつくるという手段でリスクヘッジをしようとしている?大丈夫なのか?代表…と。
今でも、米をつくること自体が会社存続・発展のリスクヘッジになるとは思っていませんが、そのとき林が言っていた意図が、周防大島に来て少しだけわかったような気がします。
周防大島では、畑初心者の私でも、種を植えたら、トマトやきゅうりが食べきれれないほど収穫できるし、夫が海に出たら、2時間ほどで数十匹の魚が採れます。また、私が住んでいる地家室地区では、いまだに薪風呂や煮炊き用の薪ストーブ(ドラム缶からの自家製も多いです!)が現役です。
さすがに自分が使う燃料を100%薪に頼って生活している人はいませんが、お風呂が薪と電気温水器の併用とか、朝晩の食事はガスだけど、大量のたけのこなど大釜で煮炊きをするものは、薪ストーブに火をつけてしばらく放置しておくだけでハイ出来上がり、といったように、うまい具合に両方を活用しています。
水についても、上水道が整備されている今では、飲み水をわざわざ山の上へ汲みに行くことこそありませんが、川の水を畑にまいたり、汚れものをすすいだり。昔は他の集落にまで提供していたという山の水は、夏でも枯れているのを見たことがありません。
周防大島で多くの人がしている生活は、災害が起こった時のリスクヘッジとか、拝金主義に一石を投じるとか、大上段に世の中へ投げかける問いではないと思います。自分や家族が生きていく手段の一部としての自然な営みが、結果として(たぶん本人たちには自覚もなく)お金が役に立たないような万一の事態に備えることになっている。
もし何か起こったとしても、1週間や10日は支障なく生きていけるという安心感。
そんなものを、本当に自然に享受しているのです。
よく考えたら私自身も、買い物に行く場所が遠いこともあり、1週間ほど1円もお金を使わないことも日常になりつつあります。
野菜や魚を、自分の見えるところで育て、採ってくることができること。
自分が山で切ってきた薪で、火をおこして暖をとったり料理したりできること。
少しずつですがそんな生活を始めて感じているのは、「お金がなくても生きていける生活」ではなく、お金で買ったものだけで生活する中では生まれにくい「生きていく自信や生きている実感」なのかもしれません。
地方にいることで高まる、ひとりひとりの存在感
今回の交流会で一番印象に残ったのは、里山においては、ひとりひとりが「この人がいないと組織が成り立たない」という大切な役割を担っていることです。
確かに、ここ周防大島町地家室では、歩くのがやっとに見えるおばあちゃんも、祭りの準備にやって来ると「これはこう並べなさい」「あれはあっちに置くんだ」とその場を仕切ります。おじいちゃんは、謡(太鼓に合わせて歌う歌)のテンポや、やぐらまわりの照明の付け方を指示します。地域の大掃除の仕方、いつ何を植えればいいのか、どこに行けば何があるのか。多分、この人たちが1人でもいなくなったら、確実に「地域のあり方」が変わりそうです。
それは、引っ越してから1年も経っていない私でも同じです。
放置されていた空き家に住んで、着々とリフォーム工事をしていること。草ボウボウになっていた空き地の草刈りをして作物を植えていること。何をやるにしても声が掛かります。
「何やっとるん?」「今日は何やるん?」
1,000万人が住む東京では、ああそうなのねと見た端からすぐに興味をなくされそうなことでも、人口50人の集落では、大ニュースとしてみんなが関心を持って関わってくれるのです。
会社という組織の中では、多くの仕事はマニュアル化されて、自分じゃなくても誰かが担えるように仕組み化されています。一定のクオリティを担保するためには必要なことですが、そのなかで「かけがえのない自分」でいることはとても難しいことです。
周防大島で暮らして感じるのは、何をやるかという「目的」や、何ができるかという「能力」ではなく、「自分の存在自体」にフォーカスがあたっている関係性があるということです。
今回「里山資本主義・実践者交流会」の話の中から、私に刺さった話を抜粋して紹介させていただきました。抜粋しすぎて、紹介というよりは主観の大きいメッセージになった感もありますが、私がこの半年の田舎暮らしでなんとなく感じていた居心地の良さを、少し言葉にできたような気がします。自分のなかで見えてきたこの何かを、これからも引き続き探っていきたいと思います。