2018年01月25日
実録・塾長は見た!ものさす塾生の活動記録
〜神山ものさす塾・第3期〜
こんにちは。神山ものさす塾第3期 塾長の伊藤です。
徳島県神山町で暮らしながら、Webの技術を学ぶ「神山ものさす塾」。
昨年12月に卒塾した3期生たちも、今年からそれぞれの場所で新たなスタートを切っています。
振り返ると、2017年7月から12月の半年間、大小、様々なことがありました。
今回は、私伊藤が塾長という立場からの所感を交えつつ、塾生たちの活動をレポートしてみたいと思います。
7月:入塾 、新生活のはじまり
神山町での最初の1ヶ月は、神山スキーランドで暮らすのがものさす塾での慣例になっています。新潟、東京、愛知・・・日本全国様々な場所から集まった塾生達は、そこで共同生活を営むことになるのです。
社会人となってから、一つの場所で皆で共同生活をするというのは、とても特殊なことです。包み隠さず書いてしまうと、最初の一ヶ月でメンバー間での口論も多々ありました。
単純に口論を諫めることも考えたのですが、ぶつかることを恐れず各人が主張するその姿は、「伝えたいことを伝えない」よりも、よっぽど健全だと感じさせてくれたし、私が自分自身ではなかなかできないことをやっている塾生達を見ると、早1ヶ月目で生徒達に教えられた気分になってしまったのでした。
一ヶ月目にして、各メンバーのキャラが立ち(?)、相互の理解が早まったような気がしています。
このへんが3期生を象徴する「仲が良いんだか悪いんだか」というキャッチフレーズが生まれた由来なのでしょう。
8月:暮らし方を考えた住居えらび
スキーランドでの一ヶ月の共同生活の後は、各自で住む場所を決めていきます。塾生皆、自分の思い描く「暮らし方」を実現するために、スキーランドでの共同生活の間に自主的に住む場所を探していました。「皆で住みたい!」「スタイリッシュな部屋に住みたい!」「とにかく屋根があればいいから早く決めたい!」など様々な理由で住居を決めていきました。
スキーランドでの一ヶ月間から新しい住居への引っ越しというドタバタの2ヵ月間。
もちろん、その間も Web技術者育成のカリキュラムは進んでいきます。それでも皆しっかりと内容を習得していってくれたことには脱帽です。
そして2ヵ月目が終わる頃には新しい暮らしにも慣れ始め、「遊び方」を考える余裕も生まれてきます。
9月〜10月:生まれた余裕で遊ぶ
人が学ぶ中でとても大事な要素の一つは、遊び方。
ピリピリと張りつめっぱなしでは、脳みそが凝り固まってしまいますからね。
暮らす場所、塾での学びにも慣れ、そして色々と遊びもしました。
誰かが言ってました。「学び・休息・遊びは均等に」と。
神山町は所謂田舎で、都市部ほど「用意」されているものは多くありません。
不足している環境では「衣・食・住」の工夫や知恵がフィーチャーされることも多いのですが、「遊」の工夫も多く存在します。
自然環境を環境のまま楽しんだり。
都市部にあるものを自分達で用意して田舎の環境と融和させてみたり。
何気ない物事を違った切り口で捉えて仲間うちで笑い声をあげたり。
「田舎には何もなくて不便だ」
よく聞く言葉で、きっと真実なのでしょう。
でも、そういった環境でも想像力を膨らませて「遊び方」「楽しみ方」を生み出していた塾生達はとても健やかでした。自分の「楽しみ」のために、何のストレスも無く、至って自然に考えを巡らすのですから。
あくまで個人的見解なのですが、「遊び方」「楽しみ方」を考えるのに長けた人は、仕事の中でも、暮らしの中でも、常に「楽しみ」を生み出しているような気がします。
うん、遊び、大事。
11月:葛藤、授けられた悩む時間
11月になると、いよいよ卒塾後の進路を決めていく時期になります。
この雇用型職業訓練「神山ものさす塾」で、塾生達への最大の贈り物と自信を持って言えるのが、この「悩む時間」だと思っています。
塾の中で得た「考え方」「周りの意見」「自分の意志」「学んだ技術」など、総動員して、ひたすら悩むことが出来る。言うなれば、新しい自分と次の未来への扉がセットになっているのですから。(塾生が心底うらやましいと思っている自分もいる。)
とはいえ、自分の希望進路通りに進めるのか、どう進むべきなのか、どの未来の自分が幸せなのか、塾生達の多くが不安で気が気ではなかったと察しています…。
そして、悩む時間の間にも、当然勉学に励み、イベントで楽しみ、そしてトラブルも襲ってきます。
塾生に進路のことを尋ねると、その多くが「モノサスを進路の一つとして考えている」と考えてくれていました。5ヵ月間、勉強に励み、モノサスの事を知り、その上で将来一緒に働いてもらえるとはなんと有り難いことか。
モノサスに興味があると言ってくれた塾生とは、モノサスの各部長・リーダーとお互いに納得がいくまで徹底的に話をする時間を持ち、そして無事、7名ものメンバーがモノサスに入社してくれることが決まりました(モノサスタイランド含む)。
私は塾長という立場から「塾生の納得のいく進路なら、社外でも社内でも構わない」というスタンスで塾生達の進路決定に臨んでいたのですが、「願わくば塾生達の納得のいく進路がモノサスでありますように」という本音も当然ありました。気恥ずかしいですが、教え子はまーまー可愛いもんで、一緒に働けたらいいなぁ・・・と思っていたもので。
各部署からの塾生へのラブコール、塾生からの各部へのラブコール、それらのマッチング、塾生の入社決心待ちなど、進路が決定するまでの間、塾長の私も気が気ではなかったような記憶があります。
あー、胃が痛かった。
12月:卒塾 ~必ず来るおわり~
楽しかった。
うん、楽しい塾だったと塾長は思ってます。
きっと塾生達も楽しかったと思ってもらえてたはず。
でも必ず終わりが来ます。
卒塾です。
6ヵ月にわたって実施された第3期神山ものさす塾。
人財不足が叫ばれるICT業界でのDIY的人財育成の試み。
再就職支援としての国の取り組み。
過疎が問題視される中山間地域への住民誘致。
どれも問題視されていることで、ものさす塾はそれらへの回答アプローチとしての性格を多分に持っています。
私には実施責任者としての立場もあるので、当然、それらへの課題意識も持っているし、それらに対する成果も出さなけれななりません。
それでも、全員で笑っているこの写真を見てしまうと、不謹慎に、大局観もなく、こう思ってしまうのです。
『自分はこれのためにやっている』