2018年04月26日
テクノロジーとアートの融合
〜「IAMAS 2018 第16期生修了研究発表会・プロジェクト研究発表会」レポート〜
デザイン部の上森です。
突然ですが、IAMAS(イアマス)という学校をご存知でしょうか。
ご存知の方も多いことを承知の上で説明させていただくと、
IAMASとは情報科学芸術大学院大学 ( Institute of Advanced Media Arts and Sciences )という岐阜県大垣市にある大学院大学です。
科学的知性と芸術的感性の融合を目指した学術の理論及び応用を教授、研究していて、
英語の略称をとって IAMAS(イアマス)と呼ばれ、親しまれています。
弊社がお世話になっている小林茂さんはIAMASの教授、林洋介さんはこちらの卒業生でいらっしゃいます。
その他教授、卒業生の方々の活躍も目覚ましいIAMASという大学院大学に、私は以前から興味をもっていました。
しかし、興味はあるものの、どうも具体的にイメージが湧きませんでした。ハイテクな事をやっていそうなのに場所は都心ではなく岐阜県の大垣市。卒業生の活躍も多岐にわたり、類似する学校も他になく、ネット上の記事などを読んで想像するだけに留まっていました。
そんななか、2月22日〜25日にIAMASの16期生修了研究発表会が行われるということを知ります。
これは実際に確かめる良い機会と思い、すぐに新幹線のチケットを予約。東京から向かうことにしたのでした。
今回は、16期生修了研究発表の中から、作品を数点ピックアップして紹介させて頂くと共に、IAMASに関して少しでも理解を深められたらと考えました。
Leaves
作者:永松 歩
会場に着くと、目の前に大きく掲げられた「 IAMAS 2018 Graduation and Project Research Exhibition 」という垂れ幕になぜか気後れした私は、脇道にそれ、メインフロアとは少し離れた展示から見ることに。
奥の小さめの展示室に入ると、そこには大きなスクリーン三面に美しい映像が映されていました。
その映像は地球儀や地形がワイヤー状に表示され、その周りには赤と青の光を放つ点が無数に点在し、静寂の中で定期的に”チーンッ”とベルのような音が鳴っています。
美しいとは思ったものの、見ただけではこの作品の意図がわからなかったので、概要を読んでみることにしました。
すると、概要を読み進めると同時に私は、少しゾワッ...としたというか、少し複雑な気持ちになりました。
なんとこの映像は、自殺による死の統計予測シミュレーションでした。
世界保健機関の報告からデータを収集し、自殺が起きた場所(ワイヤー上の地球儀)に発光する点を配置しています。定期的に鳴る”チーンッ”という音は、統計的に今自殺が起きている可能性があることを通知し、発光する点が地球儀上に追加されます。
世界保健機関の報告では40秒間隔で自殺による死が起きているとのこと。私は音がなるたびにゾワッ...とするのでした。
私が複雑な気持ちになったのは、初見で映像を見た時に美しいと思ったからです。
美しいと思うのは不謹慎なような。でもその映像自体は間違いなく美しいのです。
発光して浮遊する無数の点が蛍の光のように見えたり、一人一人の魂のように見えたり、なんだが尊いもののように思えるのでした。
node hands
作者:綿貫 岳海
会場の雰囲気に慣れて来た私は、数分前気後れしていた大きな垂れ幕の脇を通り、メインフロアへ。
メインフロアには十数点の修士作品が並び、その一角にはスマートフォンを握りしめる人間の手が配置されていました。もちろん本物の手ではなく人間の手を模した機械装置なのですが、20台ほど配置され、なにやらそれぞれが蠢いています。
手を模した機械装置はスマートフォンを親指でタップするなど、人間と変わらない動きでスマホを操作し、スマホ画面上で丸い形をしたオブジェクトを操っている様子。
概要からは、現代におけるコミュニケーションの虚無感を表現しているとのこと。
スマホ画面上の丸いオブジェクトは、この場の別のスマホに送受信されていることを視覚化しており、この場で送受信(情報のやりとり)が完結しています。
手を模した機械装置の滑らかな動きや、スマホ画面上で視覚化された送受信は非常に完成度が高く、私たちが普段スマホを使用する生活を俯瞰して捉えたものとしてイメージすることができました。
また、作者の綿貫 岳海さんに直接お話を伺うことができ、このようなアプリケーションも見せていただききました。
各ボックスから玉を放ったり受け取ったり、それぞれのデバイスが情報の送受信をしている様子がここで一貫して見られるアプリケーションのようです。
しかし、コンセプトに沿わないので展示はしないとのこと。ここに展示されるまでにいくつものプロトタイプが作られているのではないか、という切磋琢磨が想像できました。
me,myself&us( wanderlust・fa(r)ther )
作者:高坂 聖太郎
会場の奥にはシアタールームがあり、そこでは高坂 聖太郎さんの「me,myself&us」という二部構成からなる連作形式のセルフドキュメンタリー作品が公開されていました。
第一部「wanderlust」では、彼が三ヶ月間の欧州滞在を通して、自身と向き合いながら、自身のこれからについて表明するという作品。
滞在先での生活の様子や悩み、心境の変化などが自身の言葉で収録されており、最初は悩みの多かった姿が、日本に戻る頃には気持ちの整理がついた様子で、一皮向けた彼の姿がありました。
作者の高坂さんと私は同世代だからなのか、彼の悩みや、なんとも表現しづらいモヤモヤした感覚に共感しました。
第二部「fa(r)ther」では、不仲だった父の死去をきっかけに、父という存在、血縁という強いようで脆い関係性を捉えようと試みる作品。
彼のお母様や親戚の方が出演して高坂さんと父親のことを話すのですが、自分の知っている父親、自分の知らない父親を知り、生前の父と周りとの関係生を把握していく中で、多方面から父と自分との関係性を捉えようとしています。
父との関係性による複雑な気持ちを、彼の映像という表現でアウトプットすることで整理していっているのでは、と考えられました。
Solidifying
作者:原田 和馬
最後にご紹介させていただくのは、原田 和馬さんの「Solidifying」という作品。
最初はコラージュ写真かと思って見ていました。しかし、じっくり見ていると、気づくか気づかないのレベルで変化しているのです。動いているような、写真がじんわりと移り変わっているのです。
概要を読むと、「時間軸を持った写真表現」とみなし、重ねられた複数枚の写真がそれぞれの不透明度を変えながら変化していく様相とのこと。
私は写真と動画の中間の媒体ではないかととっさに認識しました。
しかし、写真が過去の情景を固定するものであるとするならば、そうではないし、
映像のように短時間で情報を伝えるものでもない。
写真や映像としての特性がないのであれば、写真と映像の中間ではないのかもしれません。また別の媒体であり、新たな可能性を感じました。
さまざまな作品に触れて。
この度修了展を拝見させていただき、技術的にも芸術的にも優れた作品が多く、まさにIAMASの掲げる”テクノロジーとアートの融合”であり、テクノロジーがアートの表現の幅を広げていると感じました。
ひとつ意外だったことは、テクノロジーに寄ったものばかりではないという事でした。
映画(映像)や漫画、音楽など、文化コンテンツも多くあり、
展示を見る前の私の勝手なイメージでは、デジタルに特化した理系出身の方が多いだろうと思っていましたが、修了作品はまさに多種多様。
そこには多種多様な生徒たちの研究課題をサポートする体制が整っていて、それを後押しする自由な風土があると感じられました。
今後も、IAMAS、そして卒業生の活躍に注目していこうと思います。