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30
Aug,2022
杉本 恭子
投稿者:杉本 恭子
(ライター)

2022年08月30日

20年経っても飽きないから、Webディレクターという仕事に向いているんじゃないかな。副社長・永井智子インタビュー(後編)

仕事と暮らし・周防大島

杉本 恭子
投稿者:杉本 恭子(ライター)

こんにちは。ものさすサイト事務局の杉本です。
ふだんは、京都で暮らしながらライターの仕事をしています。

今回は、副社長の永井さんに会うために、瀬戸内海を渡って周防大島のサテライトオフィスを訪問。念願のインタビューをさせていただきました!

前編では、永井さんがモノサスを立ち上げるまでのことを伺いました、この後編では周防大島への移住のいきさつ、今の永井さんにとってのモノサスや仕事観についてじっくりお話を聞かせていただきました。永井さんのかっこよさがじわじわくるインタビューです……!

移住するときは、コンビニ店員になることも考えていた

ー うわさで、「東京にいた頃はシロガネーゼでキラキラしていた」と聞きました。なぜ、周防大島に移住されたんですか?

永井 もともと、両親の実家はオフィスのある集落。このオフィスは、母方の実家をリノベーションしてつくりました。2015年に結婚した夫と一緒に父の法事に来たときに、彼が「実は農業がやりたかったんだよね」と言ったんです。じゃあ、ここで農業をやって暮らすにはどうしたらいいか、ふたりで計算してみました。

もしかしたら、私は会社を辞めなければいけないかもしれない。じゃあ、彼の退職金で食いつなぎながら農業で暮らせるようになるまで、現金収入はどうしよう? 私はコンビニで働いたら月に13万円くらい収入になるね、とか。夫はいろいろ資格をもっているから、「柳井の倉庫街でフォークリフトの仕事をしたら月25万円はいけるね」「合わせると、世帯収入38万円だからなんとかなるね」という算段ができて移住を決めました。


周防大島の山の上から望む風景

ー えっ。なんで、Webの仕事をリモートで続けようと思わなかったんですか?

永井 2015年当時はまだ、Webディレクターは「お客さんのところに行って打ち合わせする仕事」で、リモートではできないWebの職種だったんです。結局、会社と相談して仕事を辞めずに移住できたので、コロナ前は役員会やお客さんとの定例会議のために多いときは週1は東京出張していました。

ー なるほど。周防大島に移住して仕事をしようと思えた背景に、神山にサテライトオフィスができていたことも影響していたのでしょうか。

永井 神山の話がまったくなかったら「田舎でもできるかもしれない」という発想はなかったかもしれませんね。

ー 会社としては、「退職されるくらいならサテライトオフィスをつくって、東京と往復してもらおう」というところで折り合いがついたんですね。

永井 そこに関しては「折り合いをつけていただいた」という感じです。やっぱり、林さんや柵山さんには本当に負担をかけてしまったし、私の引き継ぎが充分でなかったことにより、クリエイティブ部(当時)のマネージャーやみなさんにいろんな軋轢も生んでしまった。ご迷惑やご負担をかけてしまった人はたくさんいるので、「ごめんなさい」って思っています。


永井さんの母方の実家をリノベーションした周防大島のサテライトオフィス。完成直後のようすはこんな感じでした

助けたり、助けられたりが「ある」のが当たり前だと思いたい

ー 「ごめん」って思ったことで、モノサスに対する気持ちに変化はありましたか。

永井 自分がやったことを正当化するわけじゃないけど、自分が過ごしたい仕事生活に近づけるために会社を利用してもらう方が、モノサスにいる意味があるんじゃないかな。「負担をかけられてばかり」とは思わないで、「たとえみんなに負担をかけることになっても自分がやりたいことをやろう」と思ってほしいです。

大きな迷惑をかけた側の私としては、メンバーがやりたいことができる環境をつくったり、やりたいことに協力する会社でありたいと思っています。「給料が高い会社」「キラキラした仕事」みたいなことじゃない、モノサスにしかないメリットを受けてほしい。

ー もともと、モノサスは「メンバーがやりたいことに協力する会社だ」という実感があったから、思い切って周防大島に移住できたのでしょうか。それとも、みんなに負担をかけたけれど「来てよかった」と思えたから、「メンバーがやりたいことをやる」会社であってほしいという気持ちが強くなったのでしょうか。

永井 どっちでもないね。そのとき、私は個人的にこっちに来ると勝手に決めてしまっていて、そんなことに思い至っていなかったというのが真実かも。で、後になって「あの人にもこの人にも負担をかけてしまった」と気づいて、「そんなことも考えず、勝手にやってしまってごめん」というのが正直な感じですね。その結果、やりたいことをやろうとする人を暖かく応援してあげたいなと思うようになったという感じじゃないかな。

ー そう思うようになったのは、暖かく応援してもらったことへの感謝の気持ちからですか?それとも「ごめん」という気持ちからでしょうか。

永井 そうねぇ、ありがたいなと思うけれど、感謝の気持ちなんですかねぇ。うーん……。なぜ「感謝」と言いたくないかについて、ちょっと違う角度から話してみると……。

この集落のあるおばあさんに、キュウリとかをもらったときに「ありがとうございます」って言うと、「みずくさいけん、ありがとうとか言わんでええ」って言われたことがあるんだよね。そのおばあさんは、小学生だった頃に私の祖母によくしてもらったことがあるそうで、どうやら恩返しの意味もあって私に親切にしてくれていたようです。

だからむしろ、助けたり、助けられたりが「ある」のが当たり前だと思いたいのかな。誰かが何かやるときは手伝えることがあれば手伝うし、「悪いなあ」みたいに思わずに「こういうことがしたい」ということを出してきてくれるといい、みたいな気持ちがあるのかもしれない。


オフィスの裏にある永井家の畑にて

良くも悪くも「この仕事がやりたい」というものはない

ー さっき、移住する前に「時給850円のコンビニバイトをしようと考えた」って言われてびっくりしたんですけども。永井さんは、Webディレクターとコンビニの仕事をフラットに見ている気がしています。

永井 あ、一緒だと思う。コンビニでバイトするなら「永井さんがシフトに入るときだけ、なぜか客単価が200円ほど上がる」を目標にやりたかったんです。POS(Point Of Sales, 販売時点情報管理)レジだからそういうデータ出るだろうし。

以前、こっちで出会った移住者のなかに、周防大島の暮らしは好きだけど、やりたい仕事が見つからないという人がいました。「ここでの暮らしがハマっているならコンビニでバイトすればいいじゃん」と言ったら、それは納得がいかないみたいで結局帰ってしまったけれど、そういう意味で仕事に優劣をつけていないかな。さすがにもう、体力的にキツい仕事はできないけど、コンビニだったらエアコンも効いているしね。

ー 職種よりも「私の仕事」としてやれるかどうかを、永井さんは大事にされている気がします。だから、職種に対して優劣をつけていないんじゃないかなと思いました。

永井 そうですね。良くも悪くも「この仕事がやりたい」とかはないかもしれない。よく、「得意なこと、やりたいこと、人から求められることが重なるところに天職がある」みたいな言い方をしますよね。私の場合は、「やりたいこと」は別にないので、「自分の能力が一番生きることで、人から求められてお金になること」に仕事をフォーカスしているんだと思います。

ー Webディレクターとしての永井さんにとって、「私がこの仕事をやっているとこうなるよ」という部分はどんなところにあるのでしょう。

永井 Webリテラシーはそれほど高くないけれど、自分の仕事にすごく誇りをもっている人たちが伝えたいことを伝えるための仕事が好きですね。やっぱり、私のなかでは最後まで製造業×Webなんだよね。製造業の勢いがなくなっていると言われたりしますが、やっぱり日本の製造業はすごいという気持ちがあります。また、私には新卒から5年間製造業の現場をちゃんと見てきたというベースがあるので、製造業の人たちが何を言いたいか、何を伝えたいかを理解できる部分があるのかもしれません。

私のもっているWebの知識、モノサスや一緒に仕事をしているパートナーのみなさんのスキルによって、製造業の人たちの思いを伝えられるという立ち位置が好きなんでしょうね。

移住して5年目に思う「モノサスの現在地」

ー 移住5年目を迎えて、永井さん個人として周防大島で仕事をする意味は新たに生まれているのでしょうか。

永井 代々木オフィスにいたときより、副社長としての自分が減って、現場の人間に戻っている割合が増えています。もう20年やっても飽きないということは、Webディレクターという仕事に向いているのかなと思うし、何となく好きなんでしょうね。こちらに来てそこに気づけたのは仕事面でよかったことです。

あと、人の気質は、東京よりもこっちの方が私に合うんだなというのはすごく思っていて。このあたりの人は、「口に出さないとわからない」という感じなんです。言わないでモヤモヤした気持ちを溜め込むのではなく、テーブルにまず載せる。小言を言われることもあるけれど、お互いに思っていることが表に出ているほうが過ごしやすいなと思います。東京はやさしく気を使ってくれる人が多いけれど、その分自分も気を使わなければいけない。私は、東京のコミュニケーションがあまり得意じゃないんでしょうね。

ー コロナ禍を経てリモートで仕事しやすくなった一方で、東京に行く機会はなくなりましたよね。メンバーとの交流が減っているのでは?


ひとつの案件を一緒にやるメンバーは、代々木だったりタイのバンコクだったり。物理的な距離は遠くても、同じゴールを共有しています。

永井 それはないですね。ただ上司と部下という関係では、飲みに行くぐらいしかコミュニケーションを取る方法がなかったけれど、一緒に案件を担当するというのはやっぱりすごく深く強いつながりで。むしろ、一時期より多くのメンバーとちゃんとコミュニケーションしていると私は感じています。全方位的に関わりの人数は増えているんじゃないかな。

ー モノサスとの距離感や仕事観に変化はありましたか。

永井 誤解を恐れずに言えば、大人数が同じところに集まって、同じことを目指して、同じことをやっているみたいなあり方って、モノサスのような会社にはもう無理があるんじゃないかと思うようになりました。モノサスでは2年前からユニット制を導入していますが、これからは小さい単位でそれぞれに目指すものを考えていくことができると良いと思います。今は過渡期というか、「それでもなお、モノサスというひとつの組織であるのはなぜなのか」を考える段階に来ているんでしょうね。

ー ちなみに、永井さんには「モノサスは自分で立ち上げた会社」「私の会社」という気持ちはありますか?

永井 そういう感覚もないでしょうね。「たまたま起業した係」としてやっていると思う。そんなの、みんなそうじゃないですか?私が「副社長をしている係」をやっているのは、たとえば滝田さんが「デザイナーという係」というのと同じじゃないかなと思うんです。


オフィスから徒歩1分の海辺からはこんな星空が見えるそうです


自分が選んだ人生を生きることについて、仕事をするという人との関わりについて、たくさんのことを思いめぐらせつつこの記事を書いていました。

今回、永井さんとお話しして一番印象に残ったのは「モノサスを辞めて周防大島に移住することになるなら、コンビニでアルバイトしようと思っていた」というエピソード。しかも永井さん、「私が入っているときは客単価上がるんだよね〜みたいなことがしたい」って楽しそうに話していて。わたしだったら、ライターの仕事ができない土地に移り住んで、違う仕事をすることは考えられないなと思います。いや、もしも「どうしてもここに住みたい!」という場所が見つかったら、考え方が変わるのかもしれないけれど。

同時に、永井さんはWebディレクターという仕事について、「20年やってきて飽きないから向いているのかな」「何となく好き」とも言われていました。わたしも、気がつけばライター生活も14年目くらい(よく覚えていない)になり、「全然飽きないから向いているんだろう」と感じていて。「やりたいこと」を考えて決めようとするよりも、こんな風に「あれ、これがいいのかも」という風に自分の仕事が見つかるほうが自然なのかなと思うこともあります。

モノサスのみなさんも、ぜひ周防大島のサテライトオフィスを訪ねてみてください。そして、永井さんとしっぽり話してみてほしいなと思います。静かな島の暮らしと、永井さんと周防大島メンバーによるハートフルなおもてなしが待っています◎

この投稿を書いた人

杉本 恭子

杉本 恭子(すぎもと きょうこ)ライター

フリーランスのライター。2016年秋より「雛形」にて、神山に移り住んだ女性たちにインタビューをする「かみやまの娘たち」を連載中。

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