2024年05月09日
会社は、愛着の拠り所として存在すればいいんじゃないかな。創業者林と振り返るモノサスの20年
2024年1月、モノサスは創業者の林さんから眞鍋さんに、モノサスタイランドは林さんから宮川さんに代表を引き継ぎました。
多くの社内メンバーがそのことを知ったのは、2023年10月に開催された全体会議でのこと。
そのとき林さんは、メンバーにこんなふうに話していました。
今年の春、モノサスの創立20周年を迎えるにあたってどうしていこうか、役員と眞鍋さんと話しているなかで出たのが、代表を眞鍋さんに交代することでした。誰もが思ってもみなかったアイデアだったので「いやいや、やっぱり」ということになるかと思いきや、そのまま話が進んで今にいたります。
モノサスでは部長をしていた人がいちメンバーに戻ったり、組織の状態によって適切な人、今できる人がマネージャーをするような流れがあって。そのなかで役員はずっと固定で、入れ替わることはなかったんですよね。中小企業だとオーナー社長がずっといるみたいなことって多いけれど、それが本当に会社の人事として正しいのかというとそうでもないなって思うんです。役員会の組織も、その時々に応じて最適化していけばいい。
モノサスの状況や僕の適性、眞鍋さんの強み、会社をよりよくしていくにはどうしていくのがいいのかと考えたとき、今の時点でベストな判断だと思っています。」
各拠点で説明会を開催、林さん、眞鍋さんから直接話す場が設けられました。
理由はじっくり聞けた。社内のメンバーも了解した様子。
だけど、林さん自身はどんなことを考えているんだろう。
そんなことを思いながら、モノサスに関わり続けてきた私、そしてライターの杉本さんとともに、林さんに話を聞かせてもらうことにしました。
記事にして伝えられる内容になるのかわからないし、すでに新しい体制で進んでいるメンバーに林さんの心境を伝えることに意味があるだろうかと思ったりもしました。
けれど、モノサスを20年続けてきた林さんが今考えていることを残しておかないのはもったいない。そう思って、聞かせてもらったことの一部を紹介したいと思います。
ぜんぜんセンチメンタルな気持ちはなくて。それが自然だと思ったからそうした、というのが自分の感覚なんですよね。
定点観測のように話を聞いてきてもらった2人に、今なんの話ができるだろうかって考えてみたとき、頭に浮かんだのは17年くらい前の春。当時は会社をつくって2年目で、僕は29歳とかで。まだ親会社から独立する前で、仕事もぜんぜん順調じゃなかったし、ほんとに辞めたいと何度も思った。
そんなとき、営業先の近くに大学のキャンパスがあって、きれいに桜が咲いているのが見えたんです。自由に通り抜けてよいとのことだったので、ほんの数分だけど散歩してみたんですよ。すると、学生たちの楽しそうな声が聞こえてきて。「学生時代、部室に行くのにワクワクしてたなぁ」と思い出して。それで今の会社の状況を考えたときに「みんな会社に来てるけど、楽しいのかな?」ってふと思ったんです。
—— みんながいやいや会社に来ていないかどうか、気になったんですね。
そこが自分自身にとって原点になった部分なんだと思います。仕事をするためだけに来るような場をつくりたかったわけじゃないんですよね。
—— 辞めたいと思っていたけど、みんなが楽しく働ける場をつくりたいとも思っていた。
放り出すことができる状況だったら、そうしていたかもしれません。だけど社員もいたし、自分で株も持っちゃってる。自分の子どものような存在を捨てて逃げられなかった。ひたすらお金がない状態が続いていたから、お金の苦労しかないですよ、本当に。最初のころは毎月、月末に永井さんと資金繰りの相談をして。自分の家賃が払えないようなこともありましたから。
—— 歴史を聞けば聞くほど、辛かった思い出が出てきそうですね。楽しかったことと聞かれて、思い浮かぶのはどんなことですか。
あるある、それもいっぱいありますよ。ぱっと浮かんだのは、はじめて会社のお金で忘年会ができた日じゃないですかね。僕を入れて8人くらいで。それがすごくうれしかったんです。それまでは、いっつも僕と永井さんが交代で自腹で飲みに連れていくみたいな感じだったので。
あとは、オフィスを代々木に移したとき。引っ越しは11月7日だったけど、少し前に鍵はもらっていて。いろいろ確認するために、夜、1人でオフィスに来たんです。この物件は一目惚れだったんですよね。ちょうど親会社から独立するタイミングだったこともあって、あの日はすごくうれしかったのを覚えています。
1週間後には引っ越しパーティーをして、お客さんも50人くらい招いて朝まで飲んで。オフィスをDIYするのも、周年イベントの料理を自分たちでつくるのも、お金がないからやるしかない。楽しい体験をしたりおいしいものを食べるためには、自分たちでつくるしかないって工夫するところからはじまってるんです。
やっぱり昔は、みんなを食わせないといけないっていう責任感がすごくありました。自分の給料を止めてでも給料を払いたいと思える、一緒に働き続けたいと思える人と働こうっていう感覚が強かったんです。
—— それは林さんがよく言っていた「ともはた(ともに生きたい人と働く)」に繋がる部分でもありますよね。
そうですね。それが大切なのは今でも変わらないような気がするけど、関わり方はかなり変わってきました。僕がみんなの前で話す機会を減らしたり、ビジネスオーナー制度やユニット制度など組織の変遷を経て、僕が食わせなきゃいけないっていう感じじゃなくなってきた。子どもが成人したというか。ここ数年は、みんながやっているビジネスで食わせてもらってるみたいな感覚がありました。それが、僕にとっては居心地が良くなくて。
やっぱりベースがコンサル的な感覚なんでしょうね。関わり方として、困りごとが解決していい状態になったら、基本やることがない。健康になった人に、商売のためにサプリメントを売り続けるみたいなことはできないんですよ。そういう意味でいうと、モノサスも健康体になったっていうことなんじゃないかな。
—— その感覚があったから、代表交代という選択肢がしっくり来たんですね。
意図せずそういう組織にしてきた、社長が交代せざるを得ない組織をつくったってことでもあると思うんです。僕が決断したというよりは、状況に対応したっていう感覚なんですよ。その時々の会社の状態に対して、適性のある人が社長をするっていうのは自然なことですよね。
Webのビジネスが安定期に、食のビジネスが成長期に入ってきたなかで、適切な投資判断をしていくべきだし、それができる体制になってきた。社長や役員が交代可能な組織になることで、今後、経営チームが健全な流動性を持つことができる。それは結果として、会社自体が長く続いていくことができる状態になることだと思うんですよ。
—— 会社の状況から見ても林さん個人にとっても、代表というポジションを渡すのに適切なタイミングだったという感覚なんですね。今回そうして柔軟な判断をしていることともつながりますが、林さんはモノサスを始めた当初から「会社ってなんだろう」ということをずっと考えて、仕組みを変えたり、メンバーと関わり続けてきました。今、その問いについてはどういう思いがありますか。
小さいころから「人間ってなんのために生きているんだろう」って考えていたんです。その問いが最近、自分のなかで解決してきたところがあって。虫が生きて死ぬのと、人間が生きて死ぬみたいなことってなんの差もない。気持ちよく生きていたいとか、目の前で必要としてくれる人の役に立ちたいとは思うけれど、なにかを残さなきゃいけない、成し遂げなきゃいけないみたいな感覚が、自分のなかでいつのまにか霧散してきたんですよね。それとともに、会社ってなんのために存在しているんだろうという問いが少し消えつつある。それが、最近の自分のなかでの変化なのかもしれません。
会社とか経営者って、行政府みたいな役割なんじゃないかってことを割と前から考えていて。たとえば神山町というまちは、存在そのものが目的でいいんじゃないかって。集まった人たちはみんなそれぞれ生きている。会社もまた単純に存在し続ければよくて。会社に集まる理由がある、愛着の拠り所として存在すればいいんだよな、みたいなことを考えるようになっています。
—— 今後モノサスでは、プロジェクト単位で仕事をしつつ、「相談役」として関わっていくと聞いています。
組織全体としては自立したと思うんだけど、個人ではサポートできる人ってまだいると思うので。相談事って相性が大事だと思うんですよ。僕と相性がいい人は、困ったときとか、相談事ができたときに呼び出してもらえればいいんじゃないかなって。必要としてくれる人が生きやすくなることにつながるなら、役に立ちたいと思っています。
センチメンタルでもなく、清々しいという様子でもなく、いつもの感じで話してくれた林さん。
このほかにも会社の歴史、新しいビジネスを立ち上げてきた経緯、胃が痛くなったできごとなど、いろいろな話をしてもらいました。 そのなかでたくさん出てきたのは、メンバーが辛かった時期に一緒に悩んだこと、活躍している姿を見守ってきたうれしさなど、メンバーそれぞれをよく見ていたんだと感じるエピソードです。
役割が変わった今でも、林さんにとって大切なのは「ともはた」なんだな。そんなことを思いながら、話を聞きました。
体制が変化したモノサスは今、劇的に変わった様子はないものの、新しい風も吹きつつあるように感じます。これからも従来の常識にとらわれず、自分たちが健全だと思う仕組みややり方を選んで試して、進んでいけるんじゃないかと思います。
林さん、おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。
またモノサスの拠点のどこかで、ふと会える日を楽しみにしています。