2017年02月09日
「ともに生きていきたい地域」との出会い
- 神山サテライトオフィスができるまで・前編 -
神山サテライトオフィス、完成
モノサスは徳島県の山あいにある神山町に、新たな拠点を完成させました。名付けて「神山サテライトオフィス」。タイ、大阪に続き、モノサスにとって4つ目の拠点です。
完成したのは昨年11月ですが、ここにたどり着くまでにはなかなか長い道のりが…。
今回の「ものさす式DIY」では、モノサスと神山との関係のはじまりを振り返りつつ、ひと筋縄ではいかなかった(?!)神山サテライトオフィスができるまでの道のりを前後編に分けてお伝えします。
後編:町と人と「いける」の言葉でつむがれた ものさす式サテライトオフィスのつくりかた
神山サテライトオフィスはこんな場所
サテライトオフィスは役場などがある町の中心部、神領と呼ばれる地区にあります。神領には町内に二つある商店街のひとつ、寄井商店街があります。オフィスは、食料品店や写真館が並ぶ商店街のほぼ中間にある長屋をお借りして改装しました。
近くには、大正末期に建てられ、昭和30年代頃まで、神山町の人たちが映画や浄瑠璃、演劇を楽しむ場であった「劇場寄井座」があります。(現在もアート作品などを展示したりと活用されています)
そんな、商店や文化的な施設がある地区の中心部に位置する「神山サテライトオフィス」。
路面に面しているせいか商店を通りかかるご近所の方や知り合いがふらりと挨拶をしに入って来てくれる、東京にはないふんわりした雰囲気です。町の特産である神山杉がふんだんに使われたオフィスでは、年始に東京から引っ越してきたスタッフや、神山ものさす塾を経てモノサススタッフとなったクリエイティブ部のメンバー7人が、Web制作業務をスタートしています。
なぜ神山なのか?
「ともに生きていきたい地域」という関係にいたるまで
はじまりは2012年、
「5000人の町」との出会い
モノサスが神山町と関わることになったのは、2012年。5年前に遡ります。
知り合いに誘われて神山を視察した代表の林が神山に魅力を感じ、その後時間を空けずに社内のなかでも何かをやり出しそうな2人(プロデュース部の真鍋、山内)を連れて再び神山を訪れたことがはじまりです。
この時に、サテライトオフィスの誘致や移住支援を軸とした活動を行うNPO法人グリーンバレー代表の大南信也さんや、何かに挑戦したい若者をバックアップする「神山塾」を行う株式会社リレイション・代表の祁答院弘智さんとの出会いがありました。(祁答院さんとモノサスの出会いはこちら)
元々は深刻な過疎化が進んでいましたが、「創造的過疎」という発想で時間をかけて企業や人が集まる場所へと変化させ、全国的にも注目が集まるようになった神山町。
その変化を支えた大南さんのお話をはじめて訪れた時に聞いた林は、「5000人の小さな町でも、20年かけてそこをたしかに動かせば、その動きは日本中に飛び火していくんだ」と感じたといいます。
当時、モノサスをはじめて7年目だった林は、「自分もこの小さな会社を20年かけて本当の意味で良い会社にしていけば、それは世の中に対して、何か良い変化を与えられるのかもしれない」と考えるようになりました。
一方、祁答院さんは「若者と田舎が重なる新しいコミュニティを作りたい」という思いから神山塾を立ち上げた方。塾の他にも棚田再生事業やNABEサミットなどのプロジェクトを立ち上げています。半年間の塾が終わっても神山に暮らし続ける若者も多くいるようです。
こうした大南さんの町づくりの取り組みに対する姿勢や、地域と若者をつなぐ祁答院さんの活動は、モノサスが会社としてありたい姿に重なる部分も多く、今後もこの場所とつながっていきたい、神山と接点を持っていきたい、という思いが林のなかで芽生えたのでした。
そしてこの出会いが、のちにモノサスのテーマの一つとなる「ともに生きていきたい人たちと、働く」にもつながっていくことになります。
まずは「サテライトオフィス」ならぬ
「サテライト家族」から
その後も何度か神山を訪れ、そうこうするうちに2014年、2度目の視察メンバーのひとり、プロデュース部の真鍋が家族を連れて神山へ移住。チャレンジしてみたいプロジェクト(後に Food Hub Project へ発展)や子育てなど、新しい暮らし方や働き方を模索しながら、住民のひとりとして町と関わっていきます。
仕事をとおして神山にふれる
多様な働き方、暮らし方への気づき
翌2015年には、NPO法人グリーンバレーへのクラウドシステム導入や、神山町役場のサイトニューアルなど、仕事としての関わりも増えはじめました。
これらの業務を主に担当した竹田(当時プロデュース部)は、出張で神山町を訪れる際は、WEEK神山に滞在し、コワーキングスペースのコンプレックスでテレワークを行いました。地元の方をはじめ、Iターン、Uターンの町外町民の方と出会い、それぞれが何か新しいことをしようとしている姿に大いに刺激を受けます。神山での「仕事」や「場」を通して神山の面白さを実感したことで、その魅力を周囲に伝えてくれる存在になっていきました。
(竹田の記事はこちら「自分の居場所を面白くしたい。人と人をつなげたい、つながりたい。〜神山との関わりを振りかえる〜」)
社員20人での神山視察、神山ものさす塾…
徐々に神山ムーブメントが巻き起こる
そして、この年の秋にはモノサスのスタッフ約20名が神山町を訪れることに。(詳しくはこちらの記事で。)
この時、メンバーに与えられたお題は「神山に住むつもりになって町を見る」こと。竹田がみんなをアテンドし、モノサスが神山にサテライトオフィスを作ったらどんなことができるか、どんなことがしたいか、アイデアを出し合いました。
この時の視察によって、それまで一部の社員の関わりだった「神山」がグッと近くなり、「なんだか神山って面白い!」という思いが社内に広がるきっかけになりました。
さらにこの後すぐ、「神山ものさす塾」の第一期がスタート。5ヶ月間かけてWeb技術者を育成する雇用型職業訓練として、代々木のスタッフが講師や事務局として神山へ滞在し、ますます神山との繋がりが増えていきました。
神山でのさまざまな人との出会い。そしてモノサスのメンバーの変化。
ともに生きていきたいと思った地域(神山町)との接点を探すこと。
ゆっくり時間をかけながら、知って、知ってもらう。一人ずつ、少しずつの変化が重なって、神山町とのつながりが深まり、サテライトオフィスを作る動きが本格的にはじまることになったのです。
サテライトオフィス コンセプト決め
2015年12月、いよいよ、サテライトオフィス実現に向けてサテライトオフィス委員が発足します。メンバーは、仕事で神山と関わりが多かった竹田、神山ものさす塾の講師を務めた丸山、視察に参加した栗原の三人。視察の時に出たアイデアなどを実現すべく、委員会が立ち上がりました。
まずはコンセプト決めです。
本社の代々木とは全く違う環境で、仕事をする。
夜には一件あるコンビニ以外、ほとんどのお店が閉まります。
電車もありません。
一体、どんな場になったら良いか、どんな経験ができる場だと良いのか。
メンバーの中でも神山に頻繁に訪れていた竹田は、周囲に神山の面白さを伝えているうちに、気づけば自分の興味や視野、人とのつながりが広がった経験があり、みんなにもその「広がり」を感じてもらいたいという思いがありました。
ああでもないこうでもないと話し合いを重ね、最終的に決定したコンセプトは「幅を広げる場所」。
- 神山で暮らす人たちや、神山でテレワークをしている一流のスキルを持ったプロフェッショナルと出会い、関係性を広げて行く。
- いつでもなんでも手に入る環境ではないことで、工夫をしながら生活と仕事のバランスをとっていく。
- 集中してスキルを磨く時間を設けたり、生活と仕事のバランスを自分で組み立てることを考えてみる。
同じところにずっといると、本当はたくさんの選択肢を持っているのに、選択肢があることさえも気づけないことがあるのかもしれません。
環境を一気に変えるのではなく、一度今いる場所から離れてみて、働き方、生活の仕方を考え、人と出会い、今までにない体験をする。
一見、選択肢がたくさんない、不便と思える場所だからこそ、一から自分で考えて行動することで、今まで思いもしなかった選択肢や視野が自然と広がる。
そんなきっかけになる場所になれたら、という思いから「幅を広げる場所」のコンセプトが生まれました。
次回は、「神山サテライトオフィスへの道のり 〜感謝と奮闘の場づくり編〜」として、サテライトオフィスを実際に作るまでの工程をお伝えします。
これまでの数々のDIYのなかでも最大規模といえる「オフィスづくり」。委員を中心に、数ヶ月にわたって奮闘したあれこれについてご紹介します。