2017年02月16日
ON THE SHORE
デザイナー 榛葉 真透の境界線の歩き方
榛葉 真透(しんは まさゆき)、デザイン部所属。
コンペの勝率は部内一。
長い髪の毛とヒゲ、アメリカンビンテージ風のファッション、その飄々としたいでたちのせいか、「クリエイターっぽい雰囲気がいい!」と気に入られて打ち合わせの場に呼ばれたことも。
まわりとは、付かず離れずの距離を保ちつつ、けれども話しかけると気さくに会話し、自分の好きな分野の話だと膨大な情報量を発信してくれるので、「歩くWikipedia」と呼ばれることもある。
お肉をひかえるオーガニック思考だが、柿ピーは好き(飲み物のように飲んでいるシーンもたまに目撃)。
なるべく遅くまで会社に残らない主義、いそいそと藤沢の家へ帰るが、
頼まれた仕事は断らないスタンス。
どんな時もテンションはあまり変わらない。
そんな独自路線をつらぬくデザイナー・榛葉 真透を
3年半同じ部で過ごした、わたくし中庭より紹介したいと思います。
(この記事のタイトルは、榛葉がディレクター大藪を紹介した記事「ON THE ROAD 大藪博幸の人生の歩き方」のシリーズ編としてつけたものです。)
長野でニット帽を編む家庭科男子が
音楽とファッションをこよなく愛する
デザイナーになるまで
今でこそ海が見える街、神奈川県藤沢市から代々木まで通う榛葉ですが、出身は山々に囲まれた長野県安曇野。
小さい頃から野山を駆け回り、外で遊ぶことが好きだった半面、ものづくりが好きだったと言います。
「小さい頃から絵を描いたり、お菓子を作ったり裁縫するのも好きでした。
中学の選択授業のとき、男子は『技術』、女子は『家庭科』を選ぶのが主流だったんですが、僕は『家庭科』を選んでいました。
マフラーを編む課題があったんですが、家ですでにマフラーを編んだことがあったことから、ひとりだけニット帽を編んだりしていました」
そんな家庭科ニット帽男子は、高校卒業後、東京の服飾専門学校へ入学し、ファッション業界のビジネスについて学び、アパレル店員に。
そこから徐々にデザイナーの道を歩みはじめたのは、好きな音楽やファッション、ものづくりのイベントを自分で企画するようになったのがきっかけだったそうです。
「一番最初にイベントを企画したのは高校生の時。地元(長野県)の友達とフィーリングが合って何かやろうとなって。電車で1時間半のところにある諏訪の古着屋さんが企画したアートイベントに参加したんです。ファッションショーをやったり自主映画を上映したり。自分は人型のオブジェとか作ったりしました。
次にイベントをやったのは 23、4歳の頃。専門学生時代に知り合った友達と、その友達の友達の総勢15人くらいで音楽のイベントをやることにしました。メンバーには料理人がいて、デザイナーがいて、洋服を作るやつもいて。ひとつのイベントで服も食べ物も音楽もほとんど全部がつながっていくのが面白かったんです。
今でこそいろんなものをミックスした音楽イベントは結構あるけど、当時は少なかったと思います。
そのチームでのイベントは不定期に年に 1、2 度企画し続けていて、最初僕は何でもやっていました。掃除や警備からはじまって、会場の装飾を担当したり。もともとイラストを描いたりデザインアプリも使えたので、最終的にはフライヤーなどのデザインもやるようになりました」
イベントのフライヤーとパンを持って
モノサスにやってきた日から、
ブレイクスルーするにいたるまで
自分が企画したイベントのデザインを手がけるところからデザイナーデビューした榛葉。
DM、フライヤーと、紙のデザインが中心でしたが、Webデザインにも挑戦しようと、モノサスの門をたたいたのは3年半ほど前です。
面接の日、デザインした音楽イベントのフライヤーを作品として持ってきた彼が、嬉しそうに1枚1枚説明しているのが印象的でした。
そして面接の最後、彼の友達のパン屋のパンを私に渡してくれました。
というのも、実はそのパン屋は私が当時住んでいた自宅近くのお気に入りの店で、そのことを知った彼が、だったらとおすそわけしてくれたのです(注:賄賂ではないです)。
これは彼の人脈の広さを物語るエピソードのひとつ。
そうしてモノサスに入社し、Webデザイナーとしてデビューした榛葉。
一緒に働いてみて気づいた彼のすごさは、どんな時もテンションが変わらないこと。
入社してから今にいたるまで「決まった時間に帰る」ことを自分ルールとして固く守っていますが、納期に追われたりトラブル案件がある時は、毎晩のように帰りが遅くなったり、終電近くになることも。
そんな、少しイライラしてしまいそうなシーンでも、感情の浮き沈みをみせることなく、淡々と仕事をこなすのが榛葉流です。
その姿勢はスキル云々以前に、一緒に働く仲間としても人間的にも信頼できるなと感じました。
しかし、Webならではのデザイン感覚が掴みきれない時期もあったようです。
「最初は、参考サイトなどを見よう見まねでデザインしていて、それぞれの要素がなぜそこにあるのか深く考えられていなかったんです。
そんな中、デザインコンペに出る機会をもらったんですが、それが勝ってサイトまるごとデザインさせてもらったんです。その時、ようやく全体を俯瞰して見れました。
そうしたら、こうしたらこうなるみたいな流れが見えてきたんです。デザインのロジック的な部分が分かって、Webデザインが楽しくなってきました」
やがて彼はBtoB企業サイト案件のデザインコンペで、勝率トップになります。彼がブレイクスルーした瞬間です。
(彼がブレイクスルーしたことを伝える記事は『「そのコンペ、俺にやらせてください」今月のMVPは、デザイナー 榛葉 真透』にも詳しくあります。)
一方、一緒に案件を担当することが多いディレクターの大藪は、榛葉の仕事ぶりについてこう言います。
「榛葉さんは、“自分のサイトなんだ” という意識が強い。デザインをする責任感が強いんです。
企画の段階で、意見もあるし一緒に考えてくれる。そうやって作ってくれた榛葉さんのデザインはロジックがあって、お客さんに提出するときも自信を持って出せます」
はじめて入ったWebデザインの世界にとまどう時期もありましたが、サイトをまるごとデザインできたのをきっかけに経験が深まり、BtoB案件コンペ勝率1位のブレイクスルーを果たしました。まだまだ勉強中の身ではあると思いますが、今ではディレクターからの厚い信頼をもらえるようなデザイナーへと、歩みを進めているようです。
リアリティは藤沢にある
二足のわらじの悩み
榛葉といえば “藤沢”。もう8年ほど神奈川県藤沢市に住んでいます。
オフィスのある代々木までの通勤時間は1時間半〜2時間程度。
なかなか長い通勤時間に思えますが、それでも藤沢に居続ける強い理由があるようです。
「東京では感じられないけど、藤沢にはリアリティがあるんです。
例えば大好きな音楽に関しても楽器がうまい人がゴロゴロいて。
東京ってビシッとロックの格好しているのに、全然ギターが弾けない人とかいますよね。
藤沢は逆に格好はそっけないのにすげー楽器がうまい人とか、ゴロゴロいるんです。
サーフィンとかもそうですよね。
実際にサーフィンしている人たちが自分たちでウェアを作ったりとか。
藤沢は中身と表向きのバランスが取れている人が多いんです。
表面的だったり流行りのようなものではないと言いますか…。
洋服は今でも大好きですが、以前よりトレンドを追わなくなったし、気楽に洋服を選べるようになりました」
そんな藤沢周辺での、彼のコミュニティは広い。
一度モノサスの登山部で鎌倉ハイキングしたときに榛葉も参加しましたが、鎌倉の街を歩いているだけで彼の友達に何人も遭遇しました。
榛葉にとって藤沢は、カルチャーも人も、リアリティを感じる場所。
彼が今もっとも深く関わりたいと思う場所は、藤沢にあるようです。
「何かと何かをつなげる仕事が、今後は面白そうかなって思ってます。
それを藤沢でやりたい。藤沢にはリアリティがあるので」
モノサスに入社する以前から、藤沢周辺の音楽イベントのフライヤーデザインをずっと手がけ続けているのも、彼なりの藤沢との関わりあい方のひとつかもしれません。
けれどもフライヤーのデザイン作業は、仕事が終わった後や休日などのプライベートな時間でやっていること。
モノサスはモノサスで、決して簡単な仕事ではありません。時間の捻出も大変なのでは?
「会社とプライベートとのバランスが均等に両方重くて大変なんです。
それを一個にまとめられればスムーズになるんじゃないかとも思うんですが、今はやり方が分からない。
依頼があって何かつくっている感覚は一緒なんですが…」
モノサスの仕事と藤沢でのフライヤーデザイン、二足のわらじをこなす大変さは想像に難くありません。時折、彼がどこか足元がおぼつかなく見えるのは、この二足のわらじのバランスを掴めきれずにいるからでしょうか。
二足をそれぞれあきらめず、そして完全に分けることなく、ふたつの狭間で接続点をみつけてくれたら、モノサス自体ももっとおもしろくなるし、どことなく感じている彼自身の違和感もなくなるのでは?
藤沢のリアリティがモノサスにつながる日が来るのか、来たとしたらそれはどんな形なのか、今後の彼の動きを楽しみにしています。