2018年03月22日
食の根っこを見つめたら畑に行き着いた
お皿にエゴを載せない「本当に美味しい料理」に気づくまで
〜 interview 原川慎一郎さん(RichSoil &Co. 共同代表)〜
今回のめぐるモノサシに登場するのは、原川慎一郎さん。
20代半ば、まったく食とは関係のない仕事をしながら「いつか人が集まる場所をつくりたい」と思い立ち、渋谷にある「Concombre(コンコンブル)」で修業を開始。その後、渡仏し、2つ星のレストラン「La Madeleine(ラ・マドレーヌ)」に1年間勤務。2012年、34歳で目黒に自身のレストラン「BEARD(ビアード)」をオープンさせます。
そんな原川さんの作る料理を楽しみに「BEARD」へ通っていたのが、プロデュース部部長であり、Food Hub Project 支配人の真鍋でした。
とはいえ、2人のつながりはオーナーシェフと客という間柄だけではありません。
お互いがそれぞれ「人生が変わったね」と振り返る、ある食のイベントが出会いの場だったのです。
それは原川さんがお店を開く1年前のこと。
70年代から地産地消の文化とコミュニティを育んできたカリフォルニアのオーガニックレストラン「Chez Panisse(シェ・パニース)」のスタッフを日本に招き、インスタレーションのように調理をして料理を振る舞う「OPENharvest(オープン・ハーベスト)」が開かれました。
真鍋は来日したシェフやスタッフたちの通訳、アテンドなどの裏方からイベント当日のディレクションを担い、原川さんは料理の作り手の1人として「OPENharvest」に参加します。
そこで生まれたつながりがきっかけとなり、原川さんは「Chez Panisse」元総料理長であるジェローム・ワーグ氏とともに RichSoil&Co を設立。「BEARD」を閉店し、2017年12月に東京神田に新レストラン「 the Blind Donkey(ザ・ブラインド・ドンキー)」をオープンさせました。
そんな原川さんのこれまでとこれから。そして「食」に対する思いについて、真鍋が聞き手となり、「 the Blind Donkey 」のカウンターでゆっくりとうかがいました。予想通り、壮大な広がりをみせていった2人の対話を、前後編に分けてお届けします。
(インタビュー構成:佐口賢作)
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原川慎一郎さんプロフィール:
RichSoil & Co. 共同代表
東京のビストロに勤務後、2008年に渡仏し2つ星レストラン「ラ・マドレーヌ」にて修行。帰国後は三軒茶屋のナチュラルワインカフェ「 uguisu 」などのシェフを務め、2012年に「旅」をコンセプトにしたレストラン「BEARD」をオープン。昨年末に「日本を100%オーガニックにする」を掲げカリフォルニアのオーガニックレストラン「 Chez Panisse 」の元総料理長、ジェローム・ワーグさんとレストラン「 the Blind Donkey 」をスタート。全国の生産者から食材を集めて、ジェロームさんが腕をふるい、旬の味わいを提供する。
「OPENharvest」で受けた衝撃
こんなにシンプルでいいの? でも、おいしい
ーー まずは2人の出会いとなった※「 OPENharvest 」のことからうかがえますか?
真鍋
個人的には、「OPENharvest」から完全に人生が変わっていったという感覚があるんです。
原川さん
僕も同じですよ。
真鍋
同じですか?
原川さん
はい。1つの運命だったんじゃないかな。僕は結局そんなにコアな部分の手伝いはしなかったけど、びっくりすることがたくさんあったから。ちょうどフランスの「La Madeleine」に1年行って帰ってきたての時期で、僕はフランス畑のトラディショナルな厨房の経験しかなかったんですよね。
シェフたるもの、緊張感とストレスの中で「質の高い料理を早く出さなくては」という。僕も完成度の高い料理って、プレッシャーで自分を追い込まないとできないものだと思っていた。
それが「OPENharvest」でみんなを手伝っていたらシェフが集まって「ウェーイ」「これはどうしようかー」って和気あいあいしながら、かぼちゃを半分に切ってオーブンにドーンみたいな(笑)。
真鍋
ハッハッハッ。あのときの料理で、慎ちゃんが一番記憶に残っているのってなんですか?
原川さん
チャーリーのかぼちゃの料理。え? これ、料理? こんな適当でいいの? と思ったけど、できあがったらちゃんとおいしい。
当時の自分は食材にいろいろな手を加えて、カッコよくしなきゃいけないと思っていたから、衝撃的でカッコよかった。
真鍋
なるほど。
原川さん
そのかぼちゃ料理を作ったチャーリーも言っていたし、今一緒に「 the Blind Donkey 」をやっているジェロームもいつも言うのは、料理人が「お皿の上に自分のエゴを乗せちゃいけない」ってこと。もちろん、作る人が違えば個性は出るんだけど、そこにエゴを乗せない。ちょうどいい塩梅の塩加減みたいなもんで、自分の個性を入れすぎてもダメだし足りなくてもダメみたいなことを学んだ。
それで、彼らが仕事をしている店に行ってみたいと思った。
真鍋
「Chez Panisse」に?
原川さん
「Chez Panisse」に。
手にとって食べる野菜がめちゃくちゃおいしくて
カリフォルニア「Chez Panisse」での経験
真鍋
実際にすぐ行ったんでしたっけ?
原川さん
すぐに行きました。「 OPENharvest 」のとき、ジェロームのメールアドレスをもらって連絡したら、「夏の間にインターンとして手伝う形ならいいよ」と返事が来て、「じゃあ、夏に行きます」って。
ただ、僕はその年は「BEARD」を始める準備を進めていて。5月に着工して7月にオープンしたんだけど、ジェロームとの約束は8月だったから、とりあえずオープンして2週間やってすぐに休業したという……。
真鍋
お披露目してすぐに臨時休業。意味がわからないですよ(笑)。
原川さん
そうそう(笑)。
でも、絶対に行かなきゃいけない、と思ったんですよね、自分のために。
ただ、そのときは「Chez Panisse」のファーム・トゥ・テーブル、地産地消へのこだわりを深くはわかっていなかった。やっているっていうのは知っていたけど、本当の意味が理解できていなかった。
真鍋
実際のね。
原川さん
それが手伝っていると、手にとって食べる野菜がめちゃくちゃおいしくて。なんだこりゃ?と。なんか、これは只者ではないなと思って。あの地域の地産地消の文化がすべて「Chez Panisse」から始まり、しかも、ちゃんと根付いている。そんなところって、他にないと思うから。
真鍋
そうですね。文化が根付くところまでどうやってもっていくのか。ちょっと結論じみたことになるけど、その疑問はありますよね。今、自分たちがやっていることに対しても。
原川さん
日本は少しずつ関心は高まっているようですが、それぞれが分散していて、カリフォルニアのカウンターカルチャーのように一気につながって大きな動きにという「ムーブメント」にはまだなっていない。それは日本人が職人タイプの人種だからなのかもしれないけど。農家さん、技術者さん、料理人、それぞれが孤立しちゃいがちで、自分の興味関心をどんどん突き詰めていて、あんまり外との交流がない。
真鍋
農家さんは、特にそういう傾向がありますよね。毎日の繰り返しのなかで、自分のやっていることが正しいという前提が深まっていくところもあるはずですから。
原川さん
そこがアメリカ人や他の国の人との違いだなって、ジェロームとも話していて。
「俺はこういうスタイル」「あなたはそういうスタイル」「でも最終的に見ている方向は一緒だよね」「じゃあ、一緒に助け合ってやろうよ」みたいな発想になりにくいのかな。
あと、忙しすぎる問題もあると思う。みんな忙しすぎて、自分の持ち場でいっぱいいっぱいで、刺激的な人、魅力的な人と知り合ってもよほど自分で時間を作らないとコンスタントに付き合っていけない。これは日本人に限らないかもしれないけど、やっぱり時間ないと活動できないから。
真鍋
慎ちゃんは、どうやって時間作ってるの? 今は忙しいですよね?
原川さん
今は、オープンしたばかりだと諦めつつも、もんもんと(笑)。
真鍋
物事には、時間がかかるタイミングはありますから。
原川さん
焦ってもしょうがないんで。
真鍋
現状を理解しながら、次に動くタイミングに向けて準備している感じですか?
原川さん
そうですね。根付かせるには、土台を作っていかないと。
真鍋
この話はまた後でゆっくりしましょう。
作りたいのは「ほんとうに美味しいもの」を当たり前に食べられる場所
真鍋
話をちょっと戻すと、「 OPENharvest 」の後、※「 Nomadic Kitchen 」の活動を始めるわけじゃないですか。野村友里さんを中心に慎ちゃんたちがコアになって、僕はそれをサポートする感じで。あの活動からはどういう影響があったんですか?
原川さん
生産者さんのもとに、会いに行く。食べ物が作られている現場に、行く。しかも、イベント的に会って話して、「初めまして。おいしいから店に送ってください」で終わりではなく、その場で料理をして、一緒に食べて、関係性が深まるというか。
そのすべてが勉強になった。あの体験が間違いなく、今の「the Blind Donkey」につながっているな。
真鍋
仕掛ける側としては、料理人のみんなが産地にガーッと行って、料理して、ただ去っていくみたいにならないように、心がけていました。地元の作り手さんと関係性を作ってから、1つ1つのイベントを進めていったんですよ。
なかでも、一歩引いた立場から見ていると、ジェロームも一緒だった四国の旅(2014年4月9日〜13日の5日間、瀬戸内と高知の各地で食材と作り手の方々を訪ねる旅をした)が、慎ちゃんには大きかったんじゃないかなと思っているんですけど?
原川さん
はい。「Chez Panisse」に行ったとき、カリフォルニアのおいしい野菜や果物に衝撃を受けて、「なんでこんなにおいしいんだろう?」と思って調べるうち、畑に行きついた。カリフォルニアではジェロームが、ボブさんという人の農園に連れて行ってくれて、土や種の話を聞き、そこから有機、自然農のことを知り、「それってなんなの?」と勉強して。
「Nomadic Kitchen」に参加する頃には、だんだん、「レストランを開いてお客さんにきてもらって、それがお金になって生活できる」だけでは、なんかあんまり満足できなくなっていた。たぶん、それだけだったら今はもうレストランをやってなかったとも思う。
そんなとき、あの旅でジェロームともゆっくり話ができて。食べるってことの根本的な部分をずいぶん考えたかな。
真鍋
長かったもんね。1週間くらい一緒だったんじゃないですか。
原川さん
そうだね。あの体験は大きかった。
「あっ、自分はレストランやりたいんじゃないな」と思った。それまでも産地巡りをしながら感じていた疑問もいっぱいあって、自分はもっと日本の農業を、第一次産業を盛り上げたいんだなって。そうすることで、今は東京に住んでいるけど、自分の身近な場所で本当においしい食べ物が当たり前に食べられる環境ができたらいいなという。
そのために何ができるのかなって考えるようになった。
真鍋
ちょっと話がそれるかもしれないけど、「レストランやりたいんじゃないな」みたいな話があるなかで、私もそのなかのひとりだけど、「BEARD」のオーナーシェフである慎ちゃんの料理のファンっているでしょう(笑)。
でも、この「 the Blind Donkey 」では、ジェロームがシェフで慎ちゃんはサポート役。じつは、もう「自分は料理人じゃない」と思っているのかな? というさみしさもあるんですよね。
原川さん
「 Nomadic Kitchen 」を一緒にやっている、とうさん(東森俊二)とか、倫平くん(吉川倫平)とか、ジェロームを見ていると、自分は「ああ料理人じゃないな」って思う。
真鍋
なにが違うんですか?
原川さん
あの人たちはみんな、料理するのが好きなんだもん(笑)。僕、そんなに好きじゃないから。
真鍋
ホントに? そんな好きじゃないんですか(笑)。
原川さん
僕はどっかで編集みたいな感覚があって。作る人がいなかったらやる。おいしいものを楽しむ場を作りたいから、食べ物を囲む場を作りたいから料理もするけど。しなくていいなら、しない。誰かの作ってくれたおいしいものを食べたい。だから、僕、「食べ手」なんだと思う。むちゃくちゃ。
真鍋
食べ手っていい言葉ですね。
原川さん
僕。むちゃくちゃ食べるのが好きだから。
真鍋
おいしいものを作ってくれる人がいるんだったら、自分はやらなくていいということ?
原川さん
そう。料理するときも、「自分が作りたいものを作る」よりは「おいしいと思うものを作る」が先にくるから。与えられた環境でおいしいと思えるものを出せればいいっていう感じ。だから「あれ作りたいなぁ」とかあんまない。
真鍋
なるほどぉ。
原川さん
それはもともと僕が食の仕事を始めた頃から変わってないのかな。きっかけは、食べ物を囲む場、気持ちいいお店をやりたかったからで。それを実現するには、自分も料理を作れた方がいいんだろうなと思ったのが始まりだから。
いつか自分の店をやりたいと思って勤務先を退職
27歳、小さな街場の店で皿洗いからスタート
真鍋
そもそも、慎ちゃんは料理の世界に入る前はなにをやっていたんですか?
原川さん
直前は、NHKのコピーライトの部署で、翻訳をしたり、放映権を処理したり、売り買いする仕事で。その前はずっとカナダの旅行会社で働いていて、日韓W杯のときに日本に戻って、京都に2年。7、8年東京にいなかったから、NHKの仕事が終わった後、遊べる友達がいなくて(笑)。あちこち食べ歩きを始めたのが、はじまり。
ちょうど東京にもビストロが出現し始めた時期で、フレンチのシェフやカフェ世代の人たちが、食事もお酒も楽しめる店を続々オープンさせていて。それがおもしろくて、いつか自分も店をやりたいと思うようになった。
レストランに限らず、人が集まって、好きな音楽が流れていて、パリの50年代のカフェじゃないけど、そこから何か新しい文化が生まれるような場所をつくりたいと。食べることも好きだったから、まずは、料理ができるようになっておいたほうがいいと考えて会社を辞めることにしたんだよね。
真鍋
何歳くらいでした?
原川さん
27歳。いろんな人が集まれる場を作るにしても、おいしいものを作れる人が誰もいなかったら、レストランとして魅力がないし、人も集まらないだろうなと思って。最終的に作る側にならないとしても、作り方がわかっていないとダメだなとも思って、働きながら修行できるところを探し始めたんだけど、誰も雇ってくれない(笑)。
ホテルの厨房とかで学ぶと、1日ハーブ積んどけみたいなところからだと思って。こっちは27だし、そんな時間はないから。小さな街場の店で働きたかった。
だけど、小さい店は即戦力じゃないと邪魔なだけだから、「サービスならいいよ。厨房こられても困る」って。何軒も断られて、やっと雇ってくれたのが、渋谷の「Concombre」というレストラン。めちゃくちゃ忙しくて過酷だったからみんなすぐ辞めちゃう。猫の手も借りたい店だったから入れたんだと思う。
真鍋
そこで何年くらいやっていたんですか?
原川さん
皿洗いから2年半くらい。
真鍋
それで、30手前になって、フランスへ。何年くらい行っていたんですか?
原川さん
2008年からの1年。2009年帰ってきて。友達の縁で奥沢の「La butte boisée(ラ・ビュット・ボワゼ)」で1年、三軒茶屋の「uguisu(ウグイス)」で2年半ほどシェフという立場で働いて。2012年に「BEARD」をオープンと。会社を辞めたのが27歳で、そのときに35歳までには店をやろうと決めていたから。「BEARD」をオープンしたのが34歳だったので、一応、自分のなかではプラン通りに。
真鍋
すごいですよね。だけど、「OPENharvest」からもう7年か。時の流れは早いですね。
(後編に続く)