2018年05月25日
新たなプロジェクトは、次世代に向けた「やったらええんちゃうん」の循環が生まれる場づくり
〜 interview 大南信也さん(認定NPO法人グリーンバレー理事長)〜
神山の町づくりのキーマンである認定NPO法人グリーンバレーの理事長・大南信也さんをゲストに迎えている、めぐるモノサシ。前編では、モノサス代表の林が、神山の「やったらええんちゃうん」の精神について深掘りしていきました。
続く後編では、大南さんが新たに取り組まれているマイ・プロジェクトとその狙いについてうかがっていきます。
(インタビュー構成:佐口賢作・撮影:生津勝隆)
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大南信也さんプロフィール:
1953年徳島県神山町生まれ。米国スタンフォード大学院修了。帰郷後、仲間とともに「住民主導の町づくり」を実践し、1996年から「国際芸術家村づくり」に着手。全国初となる道路清掃活動「アドプト・プログラム」や「神山アーティスト・イン・レジデンス」などのアートプロジェクトを相次いで始動。
2004年にNPO法人グリーンバレーを設立し、理事長に。移住・起業支援やサテライトオフィス誘致を推進。クリエイティブに過疎化をさせる「創造的過疎」を持論に、多様な人が集う「せかいのかみやま」づくりを進めてきた。
最新の物も10年経てば、必ず陳腐化する
でも、人は世代を超え、絶対に陳腐化しない
林
大南さんの世代が枠を広げ、隙間に自由を作っていったことで神山に「やったらええんちゃうん」が根付き、移住者にとって居やすい場所になっていったという流れが見えてきました。
今後、この仕組みを次の世代にも残していくという意味で今、大南さんが取り組まれていることはありますか?
大南さん
最近、今後のグリーンバレーはどういう方向に向かうべきかというようなことを考え始めているんよね。そうすると、グリーンバレーの価値を作り上げてきたのは何か? ということを改めて考えることにもなるんよ。
それは、外から神山にやってきた人たち、クリエイティブな考え方を持っている人たちが、ずっと留まり、ときには出ていき、また違う仕事を持ってやってくるような状況を作り出したことだと思うんよな。
この先のグリーンバレーがどの方向に向かうにしろ、この仕組みを押さえていけば物事はうまく動いていくはずなんかなぁと。
だから、僕としてはもう1回、クリエイティブな人たちが集まる場づくりを丁寧にやっていきたいと思っている。
ITのサテライトオフィスはたくさん来とるし、アートのコミュニティもある。その枠をもっと広げ、建築であったり、デザインであったりといった人たちが集まる拠点を神山の自然の中に何ヶ所か作っていきたいんよな。
林
なるほど。
大南さん
そうすると、また新たな人の循環ができ、「やったらええんちゃうん」という雰囲気の中で次のプロジェクトが生まれていくと思うんよ。だから、僕の今後のマイ・プロジェクトは、そういう場を作ることやな。
林
楽しみですね。
大南さん
究極はなにを作りたいんかと言ったら、「人のジューサー」のような仕組み。ジューサーの容器に果物を入れてわーっと回すと、ジュースができる。通常その容器はガラス製あるいは透明な樹脂製でできています。で、ガラスや樹脂の代わりに、人をジグソーパズルに貼り付けてできた容器を持つジューサーを作りたいんよな。
物は必ず時とともに陳腐化するから。最新の物も10年経ったらみんな飽きる。だけども世の中で一番陳腐化しないのはなにか?言うたら、やっぱり人間やないかと思うんよな。
世代を超えて引き継いでいけば、絶対陳腐化せんのよな。だから、おもしろい人たちが神山に入ってきて新たなピースになり、元々いた人たちとくっついて容器になる。去って行く人がいたら、そこが空くからまた違う人のピースで埋めていく。この仕組みができあがっていれば、常に最新のプロジェクトを生み出す装置、つまりジューサーができる。で、アイデアを持った人たちは、自分の持っている面白いアイデアをこのジューサーに投げ込むんよ。すると、そのアイデアが人のジューサーの中でグルグルッと混ぜ合わされて、ポンッとそこから飛び出てくるものが新たなプロジェクトになるという寸法。こんなイメージやな。
林
常にピースが更新されていくジグソーパズル。
大南さん
そう。あとからプレーヤーとして参加してきた人たちもすぐに加わることができるから、これは逆に割と簡単な作りよ。
物事を起すために、「なんとかのプロジェクトを考えよう!」みたいな感じで構える必要がない。仕組みとしての人をつなぐ場ができあがっとれば、そこからポンッと次の目指すべきプロジェクトが出てくる。
林
僕はモノサスでそういう仕組みを作りたいと思っているんです。ただ、そのジューサーが作れなくて困っている人は自分も含めて、多いとも思うんですよね。だけど、神山にはすでに少しその仕組みができているじゃないですか。
これはどうしてなんでしょう?
大南さん
これは僕自身やなくって3Dカーモデラーの寺田天志さんが言いよった話やけども、神山でなにに一番驚いたかと言ったら、サッカーに例えるならすべてがダイレクトパスで繋がっていく、と。それも相手を見つけてそこにパスをするんじゃなくて、ゾーンにパスを出しただけでということやった。
やりたいことがある、解決したい事がある、試してみたいことがあるとなったとき、その辺にそれを投げてみると、必ずそこにふさわしい人が現れ、しかも、その人が次のゾーンにボールを繋いでくれる。ほんで自分で1人で考えていたらできんことが、さっさっさーと、ふわーっとできあがっていくと言いよんよ。
そういう風に神山は、ある意味ゆるくいろんな人が集まっとる状態。そんなゾーンができていることが非常に大事いうことよな。
林
なるほど。そのゾーンはどうやってできていったんですかね?
大南さん
話が「やったらええんちゃうん」という言葉に戻ってくるけど、それぞれが一歩を踏みだしやすい空気・雰囲気・土壌が育ってきとるんやろうな。だから、誰もが一歩目を踏み出せる。
実際、世の中のほとんどのことは一歩踏み出したら、形になっていく。ところが、賢い人たちほど、その手前で勉強しすぎるんよな。本を読んで、学んで、学んで、結局、リスクしか見えんようになり、一歩が踏み出せなくなる。
ほとんどのことはやってしまわんかったらわからんのに、思考ばっかりして、足踏みしている。ところが、神山には「やったらええんちゃうん」と誰かが背中を押し、一歩が踏み出しやすいような空気・雰囲気・土壌が育っている。それがたぶん、グリーンバレーの価値なんよ。ある意味。20何年間で作り上げてきたものなわけよね。
確固たる覚悟さえあれば、想像を超える創造に出会えるのが神山
大南さん
この先は、グリーンバレーを1つの例として、林さんたちが自分たちの場に落とし込んで、どう読み替えたら機能するんかな、と。一歩一歩構築していくことやと思うな。
たぶん、シリコンバレーってそういうことやと思うよ。「やったらええんちゃうん」というゾーンになっている。あるところにいいアイデアを投げたら、資金が集まり、必要な理論を提供する人が現れ、事業が育っていく。プレイヤーを固定化せず、ゆるく繋がっているような状態が新しいプロジェクトを生み出すのに一番適した空気・雰囲気・土壌になっているじゃろうなぁ。
林
そのためには、「やったらええんちゃうん」という、ある意味、無責任な言葉が大切なんですね。
大南さん
そうそう。多少は突き放したほうがいい。結局、本人の覚悟が決まらんとうまくいかないんで。最初からお手伝いして、押し上げてあげても、絶対にうまいこといかん。
誰かのお手伝いをすることは、自分の時間を投資するってことやけんな。本人がぶれて、揺れていたら、時間を投資した周りの人もしんどいやん。だから、確固たる覚悟が必要で、逆に言えば、自分の軸を持っていて一歩踏み出せる人やったら、たぶん神山のみんなが手伝うはず。
林
ちょっと突き放すというニュアンスがすごくおもしろいな、と。
大南さん
あんたがやりたいんでしょって感覚は必ずあるよな。別に自分がやりたいわけじゃないわけやから。だから、見るわけよね。その人の立ち位置やどういう向かい方をするかを。時間でも投資して、これからいいものに回っていくのか。そういうところで判断するよな。
もし、突き放してダメになるんやったら、いつかは違う局面でも同じようなことが起きるんよね。でも、「やったらええんちゃうん」と言われて、歯を食いしばっていける子っていうのは、ほかの場面でも踏ん張れるから。突き放すことで、どっちの人間かを見ているってことやな。
林
新しいことを始める人は自分のお金も時間を使うわけじゃないですか。それを「やったらええんちゃうん」と突き放しながらも手を差し伸べてくれる神山でやる価値ってどこにあるんでしょうね。
大南さん
どんなんかなぁ......(笑)。たぶん、想像しとること以上のことが起こるっていうことかなと思う。想像を超える創造。イマジネーションを超えるクリエイション。ここで物事を始めると、自分が設定しておるゴールとは違う、なんか想像された、想定の価値よりももっと違うような物が生み出せるんじゃないかな。
林
そういう期待が持てるから人が集まってくる。
大南さん
現実にそういうことは何度も起こっとるんよ。
ニッセイ基礎研究所の吉本光宏研究理事がよく神山にやって来るんやけど、この人は、文化庁の文化審議会の委員や東京オリンピックの文化プログラムの招致委員会の委員をされとる徳島出身の人なんよな。
その吉本さんが神山で行われたアートの国際シンポジウムで基調講演されたんよ。そのとき、言ってくれたのが神山は「上がりのない双六」という言葉。
「自分は毎年のように神山に帰ってきよる。普通双六は、振り出しから始まってサイコロを振っていったら行きつ戻りつはあっても、最後には必ず上がる。そやけど、どうやら神山は上がりがない。来る度に新しいことが起こっとる。それも自分の想像以上のことが起こっとって、これからもなにが起こるかわからん。ほやけん、ここに来るのがやめられない」って(笑)。
そういう想定しないことが起こる可能性があって、自分自身がそのプレイヤーになれる可能性が見える。たぶん、そこに惹かれて人が来てくれるんじゃないのって思うんよな。
会社は2、3年で成果の出る仕事をやる一方で、
「なんやらわからんもの」に投資する必要がある
林
大南さんのマイ・プロジェクトはどんなプランなんですか?
大南さん
うちは父親が立派な家を作ってくれたんだけど、このまま残すと、僕の子供にとってはお荷物になると思うんよ。広いし、日本建築は手入れをするのが大変や。かといって僕が子供らに、「これはじいちゃんが作ってくれた大切な家じゃけん、守っていけよ」と言われても、必ず負担になる。
そこで、負担にならずに守っていける方法は何か?と考えたら、活用しかない。この家の前の空き地に外国人を含む建築家が活動できるような拠点を作り、人が集まるように開放して、うちの家で泊まれて、食事もできて、日本庭園の手入れも一緒にできるみたいな場所にしていったらどうか。
それも建築だけやなしに、他にも棟を立ててアート、デザインと点在させていく。その取り組みの始まりが「マイ・プロジェクトA」。AはアーキテクチャのA。ここにコアになる建築事務所を入れて、コワーキングスペースも作っていく。そして、建築事務所と一緒に運営していく。
そうしないと、僕の子供らが困るからな。
「お父さん、死ぬ前にまた変なもの建てていった」となれば、ちょっとしんどいでな。できるだけ負担にならん形で、いろんなものが活用できたらええのかなと思っている。
林
最後にモノサスの印象を聞かせてください。
大南さん
ひと言で言えば、変わった会社やな。自由で。フィールドが広いな。広がりがある。大きな可能性があって、いろいろなものが育ちやすいんやろうと思う。ただ、さっき林さんはグリーンバレーと同じことを会社でやろうとすると大変なんですって言うたやん。
林
はい。
大南さん
それはたしかに、そうだろうと思う。僕がグリーンバレーで動きやすかったのは、仕事じゃなかったから。仕事じゃないから成果を求められない。期限もない。仲間もいる。
それも1週間、2週間とともに旅行をして、メッキがはがれてその下にある地金を見せ合い、わがままも言える仲間。お互い長所短所すべてわかった上で、「この部分はあいつに任せたらあかん」「ここはあいつやろ」と共通認識でできている。だから、さっき言ったゾーンのような展開もできてくる。
でも、会社やったら、そうはいかない。だから、すべての事業をグリーンバレーの形に読み替えるのは無理やと思うんやな。ただ、会社の1つの方向として、2、3年で成果の出る仕事をやる一方で、なんやらわからんけど、大化けするかもわからんし、なんぼ投資してもどうにもならんかもしれんことも並走させる必要がある。
それは未来の投資になると思うよ。僕が3年前に Facebook に行って感心したのは、1階の一番目立つ場所にアナログ・リサーチ・ラボっていうのを設けて、アーティストたちの制作の風景を全社員に見せておったこと。あれがたぶん、Facebook の将来の何かを生み出すはず。
これはモノサスの未来になるというものを見出して、きちっと投資する必要があると思う。その代わり、まったくダメかもわからん。でも、マイ・プロジェクトをやりよらんかったら、ダメかどうかもわからん。そこは作ったほうがええと思うよ。フードハブも1つの実験やと思うしね。
林
実験にしては大変ですけど(笑)。
大南さん
「シェフ・イン・レジデンス」はおもしろい。あれはデータの蓄積やな。それぞれのシェフの人にきちっとインタビューしていって、それを集積していったらとんでもないものができると思う。日本の地方の中山間の農業のあり方を変える可能性があるよ。本当に。
林
シェフに神山の食材を使うレシピを残していってもらいたいという話はしています。
大南さん
最新版の神山の味ができるんやな。インターナショナルな。モノサスはそういうことができる会社やな。
林
そう思ってやっています。やっていますけど......意外に大変だなと。
でも、そのうちに仕事って成果を求められなくなるのかもと思っていて、
そのとき、僕らはどう仕事と向き合うのかなと。1人で仕事をしていると、それはさみしいからそのために会社ってあるのかなというふうに考え始めている感じはあるんです。
大南さんへ
僕がはじめて神山町を訪れたのは、震災の翌年、2012年9月。
会社をつくって7年目でした。
当時、広告業界からの仕事が多かったモノサスは、震災の影響をもろにうけ、
その立て直しに自分自身が、消耗しきっていた頃でもあります。そんな時、神山での大南さんたちの活動が、すでに20年以上続いていることを聞き、
たかだか7年会社をやっただけで行き詰まりを感じていることが馬鹿らしくなって
「黙って20年やればいいんだ」と目の前がひらけたような感覚になったことを覚えています。自分たちも神山で活動するようになると、「なんで神山なんですか?」
とよく聞かれるのですが、もっともらしいことを答えながらも、
実のところ、明確な理由があったわけではなく、
ただ大南さんたちのそばに、自分たちの身を置いてみたかったからだと思います。神山に通うようになって6年目。
そろそろ、なんでこんなにも神山に惹かれたのかということを
もう少し言葉にしてみようと思ったら、
ルーツである大南さんに直接お話を聞いてみたくなりました。「やったらええんちゃうんって、無責任な言葉なんよな。」
インタビューの冒頭、この言葉を聞いた途端に、「そうだよなぁ」と妙に納得して、
なんとなく自分が神山に惹かれた理由がわかった気になってしまいました。そこからは大南さんがこの言葉にたどり着くまでの物語を、
楽しく聞かせていただきました。「無責任」というのは、実はとても勇気のいることなんじゃないかと思います。
それに、とても温かくもある。会社という組織に「やったらええんちゃうん」を根付かせるのは
なかなか難しいようにも思いますが、
それでも「やってみたい」と思える魅力があります。大南さん、そして神山との出会いは、
確実に私たちモノサスの運命を変えました。
会社としても、個人としても、
いち住人として、これからも楽しく神山での時間を
ともに過ごしていきたいと思っています。林 隆宏