2017年01月30日
2017年、「新しい年に読みたい本」を肴に
新年会・後編
〜モノサスの「読書会」#10〜
モノサス新年会として行われた読書会。今日はその後編です。テーマは「新しい年に読みたい本」。
前編では、読書を人に薦めたり、声を発したり、言葉をつくったりできるようになる本が集まり、 それぞれの今年の抱負も語られました。
後編は詩集1冊と漫画2冊というラインナップ。抱負?ではなさそうなラインナップですが、いったいどんな想いが語られるのでしょう。
それでは後半戦スタート!
発表タイム
後編
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シジミを食べるって、こんなにひっそり怖いことなんだ
平凡な日常から生まれることば
石垣 りん (著)『表札など―石垣りん詩集』(紹介者:大村 陽子) -
へうげる=ふざける 出世欲と物欲の狭間で揺れる、戦国武将
山田 芳裕(著)『へうげもの』(紹介者:上井 正之) -
淡々と繰り返される日常と一瞬の破壊 ふんわりと強く生きる、すずちゃんの毎日
こうの 史代 (著)『この世界の片隅に』(紹介者:中庭 佳子)
シジミを食べるって、こんなにひっそり怖いことなんだ
平凡な日常から生まれることば
『表札など―石垣りん詩集』(紹介者:大村 陽子)
- 大村
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私が紹介したいのは、石垣りんさんの『表札など』という詩集です。 彼女の詩は小学校の教科書で出会ったんですけど、「シジミ」という詩に衝撃を受けて「石垣りん」という名前が忘れられなくなりました。
ー しばし「シジミ」の詩の朗読 ー
(深夜に、砂抜きの為に水に浸けておいたシジミを見て「鬼ババの笑い」を浮かべるという詩。)今思えば、普通にスーパーでものを買って生活できる日々のなかで、たとえばシジミに対しても命 を奪うみたいな感覚が全然なかった。でもこの人は命を奪ってるんだということを意識している、その詩の世界に驚いたんだと思います。
去年、半年間神山で過ごしたときに※、食べ物の命をもらっていると感じる機会が多くて。イノシシの皮を捌いたりとか…。いのちと向き合う時間がありました。今回、実家のある広島から東京へ引越してくるときにこの詩を思い出して、この本は持っていこうと思ったんです。
- 石垣りんさんはすごく柔らかい印象の女性で、銀行員をしながら詩を書いていた方なんですけど、労働者としての立場で、地に足の着いた「ことば」を生み出している。だからなんだか読みたくなるんですよね。 もうひとつ紹介したい詩が『表札』です。
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ー しばし『表札』の詩の朗読 ー
(「表札をかける」ということから、生きる姿勢を表現した詩。)これも背筋がピンとのびるというか。新年の抱負じゃないですけど、心に持っておきたいなと思う「ことば」です。
- 菊永
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詩を読む機会って、あまりないんですよね。自分も詞を書いてるくせに(笑)あ、歌詞ですけど。※
一同 ああ(笑)
- 中庭
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2つめの詩は、自分のそれぞれの居場所に自分で表札をおきたいという内容なんですか?
- 大村
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そうですね。誰かにかけてもらうんじゃなくって、自分でかける。
- 和田
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自分を出していくというか、人から言われる「自分」ではなくて、「自分は自分」みたいなのを見せる、みたいな感じなんですかね。
- 菊永
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すごく生活に近いところの詩だから、映像が浮かんできますよね。
- 大村
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そうなんです!「シジミ」を読んだ小学生の時も、著者がシジミを見てにやっと笑っている映像が浮かんできて…シジミを食べることってこんなにひっそり怖いことなんだ、と思いました(笑)。
へうげる=ふざける
出世欲と物欲の狭間で揺れる、戦国武将
『へうげもの』(紹介者:上井 正之)
- 上井
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積ん読になってた『へうげもの』です。最新刊の23巻まで、お正月に一気読みしてしまいました。
何年か前の「このマンガがすごい!」で紹介されていて、読み始めたんですが、Wikipedia によると「戦国時代、織田信長と豊臣秀吉に支えた戦国武将、古田織部(おりべ)を主人公として描いた歴史漫画作品」。
雑誌掲載時のあらすじでは、「これは出世と物、二つの欲の間で日々葛藤と悶絶を繰り返す戦国武将、古田織部の物語である」と紹介されています。古田織部は千利休の弟子で、利休が切腹を命じられたあとに、豊臣家の茶頭を引き継いだんです。戦国の時間軸に沿って、形式的な美から「かぶく」や「隙」「わびさび」など、織部が好む「ひょうげる」というものに時代の嗜好が移り変わっていく。戦国の武将たちとの交流や葛藤が巧みに描かれています。
去年の大河ドラマ『真田丸』がすごく面白かったので、お正月に池波正太郎の『真田太平記』を一気読みしようと思ったんですが、これが積んだままだったのを思い出して。 ちなみに、『真田太平記』とドラマの『真田丸』って、すごく人物の描かれ方が違うんですよね。有名な三国志にも『蒼天航路』という漫画があるんだけど、同じ物語でも視点が違うとまた違う人物描写になるのが面白い。
『へうげもの』で描かれる各武将の姿も、それはそれで面白いなって思ったお正月でした。
- 中庭
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古田織部はどちら方なんですか?。
- 上井
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織田信長、豊臣秀吉、その後は家康についている。大阪の陣では徳川側。
- 村上
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織部焼の織部…ですよね。
- 上井
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そうです。美術というものを心から楽しむっていうのが、芽生え始めた頃の物語になっています。
- 村上
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戦国の世が治まり始めて、余裕ができ始めて…という頃ですね。
- 上井
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実を伴わない、美しさを愛でるだけのものを手に入れる、また自ら作るというのは、一国を治める大名の立場にならないと、自由にはできない。 その自由を手に入れるために、大名としての地位にしがみつくというようなお話です。
〜淡水四品目「豚バラと白菜の鍋」〜
淡々と繰り返される日常と一瞬の破壊
ふんわりと強く生きる、すずちゃんの毎日
『この世界の片隅に』(紹介者:中庭 佳子)
- 中庭
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私が持って来たのは、映画化されて今すごく話題になってる『この世界の片隅に』です。私も年末に映画館で2回観ました。
原作はこうの史代さんの漫画で、年始に愛媛に帰る移動中にばーっと読んで。 そんなわけで新年の本として持ってきました(笑)。時代は昭和9年から太平洋戦争の終わりまで、広島を舞台にした12年間ほどの物語です。 小学校3、4年生くらいの主人公・すずちゃんが、自分ちで作ってる海苔をお客さんの元へ届けに行くシーンから始まります。
まだちっちゃいのに重たい荷物を背負って届けに行くんですけど、その時、未来の夫、周作さんに出会うんです。その後、すずが19歳になった頃、「あの時会ったあの子を嫁にもらいたい」と周作さんに探し出され、呉(くれ)という場所に嫁ぐんです。
呉は軍の造船所がある軍港で広島の中でも特に空襲が多い地域で、配給も減って貧しくなっていく中で、すずちゃんは少ない材料で楽しそうに料理したり、もんぺ作ったり、洗濯したりと、淡々と日常を生きていて。
その日常の積み重ねが、逆に戦争の異様さをあぶり出していくような物語です。で、おもしろいのが、すずちゃんは絵が上手なんですけど、彼女から見える世界が絵をとおして豊かに表現されていくところなんです。
例えば、中学校の写生の授業で、同級生の哲くんが絵を描かないまま海の見える丘に座って帰らないん。お兄さんが戦死したばかりで家に帰りたくないと。そこですずちゃん彼の代わりに描くんですが、彼女の視界では現実の哲くんも絵の中の人物として見えてしまったり。そんな風に、すずちゃんから見える世界が、絵で解釈されていくのがすごく面白いんです。
あと、ちょっとネタバレになっちゃうんですけど。
空襲で落ちた時限爆弾の近くを、すずちゃんと晴美(義姉の娘)が手をつないで歩いていて、ふっとばされちゃうんですよ。
幼い晴美は亡くなって、すずちゃんも右手を失うんですが、その時の回想のシーンが、抽象的な内的世界として描かれていて、幻想的なんです。あんなにも日常を生きてきたのに、突然破壊されちゃうときの異様な感じが、絵から強烈に伝わってきて。
やがて壊された日常を徐々に取り戻していくのですが、その強靭さがすごいなぁと。てへへ、って笑うほっこりした主人公が平凡な日常を過ごす、お笑い漫画のようでいて、ところどころ、ぐっと黒い部分が入ってくる。
そのバランスがすごくおもしろい。
- 和田
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原作と映画で結構違う部分ってありましたか?
- 中庭
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かなり近いと思います。映画化した片淵監督のために描かれたじゃないか、というくらいに、親和性はものすごく高い。でもやっぱり、漫画と映画で違う部分は少しずつありますね。 たとえば、遊郭街のリンさんとすずちゃんの関係性が、映画ではほとんど端折られてたり、あと家の間取り図や地図、かるたとか、イラストや説明図的な表現は、漫画ならではかなと。
逆にアニメーションだからできる表現もあって、人の動きとか重さの感じとかは特に。色彩が入ってくるから、画面からうわっ!て来る感じがあります。 映画もぜひ観てみてください。そのあと漫画も(笑)。
- 菊永
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上中下で完結するんだね。 ちょっとっていうか、必ず観てみたいね。
- 中庭
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ぜひ!
読書会をおえて
新年会も兼ねた読書会、「新しい年に読みたい本」をテーマに選ばれた本について、参加者6名で発表しあいました。
紹介されたのは、今年の抱負にまつわる本、新年らしく身の引き締まる詩、時間があるお正月だからこそ読めた本、年末年始に読んだちょっと話題の漫画など。
鍋をつつきながら本の話や今年の抱負などを語らうのも、いつもの読書会とはちょっと違う雰囲気で楽しい時間となりました。
来月の読書会のテーマは「積ん読になっている本」。 それではまた!