2017年03月13日
私の好きなサクヤマクミコのコト
~愛のあるツッコミを求めて~
お久しぶりです。セールス部の香取です。
とある日、編集長が「お願いしたいことが・・・」とやってきた。
ものさすサイトだな?とピンときたが、モノサスの重鎮、取締役を務める柵山のメンバー紹介の依頼とは思ってもみなかった。
恐れ多い。もっと適任者がいるのでは?何より、柵山の魅力をきちんと伝えることができるのかが心配だったが、よくよく考えると、とても光栄なことだ!と思い引き受けることにした。
せっかくなので、 ゆかりあるメンバーからエピソードをもらおうと助けを求めたが、皆が口をそろえて「あーー、でもここでは書けない話だなぁ」と言う。
これはまずい。
以前は席が近かったこともあり、失礼ながら、気軽に話しかけられる身近な存在だった柵山だが、近年は多忙を極めるスケジュールのため、社内でちょっとした時間をとるのも困難に。そこで、久しぶりにランチミーティングと称してインタビューを決行した。
ところが、柵山と話すとすぐに話が脱線するのがいつもの流れ。原因はだいたい私にあるのだが、すぐに別の話題で盛り上がりがちなので、短時間で話を聞くには時間が足りなすぎた。
前置きが長くなったが、意外と表舞台に立つことが少ない柵山。現在は、本部、セールス部、品質管理部を取りまとめる、モノサスには絶対になくてはならない存在の取締役・柵山久美子(サクヤマクミコ)を、私の目線から紹介したい。
モノサスへの道のり
こんなに威張っている人はみたことない
生まれは長野。3人姉妹の長女として、家庭でも学校でも頼られる存在だった。
小学生の頃はフットベースのキャプテン、中学生ではハンドボール部のキャプテンと、意外にも体育会系育ち。そして高校生になると帰宅部のキャプテンへ。
そんな柵山が就職した先は、留学関連の会社だった。
その後いくつかの会社を経てモノサスへ入社したが、意外とその経緯は知られていない。
簡単に言うと、誰かの紹介の紹介ということになるのだが、聞けば聞くほどややこしい。
どうやら、ほぼ時期を同じくしてモノサスに入社したマーケティング部の降旗が、大きな鍵を握っていることがわかった。
その降旗との出会いは、さかのぼること25年ほど前。
おそらく2人ともワンレンボディコンイケイケの時代だったに違いない。(私の勝手な想像)
職場の同僚であった2人は、受付や総務の仕事をしていたそうだ。しかし何年か経つと2人はその職場を退職し、別々の場所で働き始める。
まだまだパソコンが家庭に普及するかしないかの頃。すでにパソコンの操作が得意だった柵山は、一般のお客様向けに操作方法を案内するサポートセンター(略してサポセン)の仕事へと転職。
「こんなにいばりんぼうな人は見たことない」とまで言われた仕事のできる柵山(本人談)は、もちろん上司から仕事ぶりを買われ、リーダーにならないかと声をかけられるが、めんどくさいという理由で断ったそうだ。
サポセンの業務を極め、パソコンのインストラクターを目指していたところ、降旗からコールセンターの仕事の誘いが来たのだった。ちょくちょく会ってはいたそうだが、数年ぶりにまた一緒に働くことになった。
仕事内容は、企業の社内向けPCサポート。「印刷ができません」や「Excelの表ってどうやって作るの?」など、パソコンの基礎から関数を駆使する質問など、内容は多岐に渡ったそうだ。そこでももちろん責任ある地位に抜擢され、長く勤めていたのだが、またしても降旗と同時期にその会社を退職することになった。
と同時に、降旗と共通の知り合いの紹介を経て、2006年、モノサスにほぼ顔パスで就職することになったそうだ。(詳細は長くなるので割愛)
そして入社後、今度は降旗を誘うことになり、現在に至る。
当時のモノサスは、WEB制作のほかに、コールセンター業務も立ち上げた時期。サポセンの黎明期を支えていた(大げさ?)柵山や降旗の存在は大きかっただろう。
古き良き時代のリーダーは
節目節目で助けてくれる恩人
そしてコールセンターのスタッフとして私が入社したのは2007年。
その後すぐ、コーディングファクトリーのサービスが立ち上がった。インバウンドのコールセンター業務の合間を利用して始まったのが、Web ページの品質チェック。柵山自身も皆と一緒にチェックを行っていた。
柵山と話していると、どうしてもこの頃の思い出話に花がさく。
電話を取りながらチェックもしていたため、落ち着いて昼食がとれず、いつも自席で食べていた。またコールセンターは365日休みなく稼働していることもあり、なかなか心休まる日がなかったが、安定のメンバーに囲まれていると、なぜか楽しく居心地がよかった。
村上を紹介する記事でも書いたが、その頃の初期メンバーは、マーケティング部、セールス部、品質管理部へと散らばってしまった。だが、やはり一緒に乗り越えたメンバーは、今でも何か相通ずるものがあるのだ。
「同じ釜の飯を食った仲間」と呼ぶメンバーさえいる。
これが現在の品質管理部の前身、いばりんぼうな柵山率いるチェックチームであった。
実は、私にとっては、忘れられない出来事がある。
当時のチェックチームのメンバーは、コーディングファクトリーの案件相談窓口、さらにはその延長でコーディング案件のディレクションも行っていた。
柵山に「かとちゃんも、ディレクションしてみない?」と、いつもの無茶ぶりをされ、右も左もわからないまま、夢中で案件を進めていた。
デビュー案件は、初回にしては難易度が高く、知識も乏しかった私は、あっという間にスランプに陥り、毎日のように「私にはもう無理です。何をしたらいいのかわかりません」と弱音をはいていた。
そんなとき、柵山ともう一人の上司、龍田(現在マーケティング部の部長)が、毎日のように相談に乗ってくれたのだった。
「かとちゃん、終わらない案件はないから」
と二人に言われたその言葉は今でも忘れられない。
逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、2人にサポートしてもらったおかげでなんとか案件を終えることができた。
私だけではない。仕事で行き詰まったときに、柵山に救われたスタッフはたくさんいるはず。部下が思い悩んでいると、必ず時間を割いて、一緒に現状の把握、問題点は何なのか、そして次に何をすべきか、と順を追って導いてくれるのだ。
私自身、あのとき柵山がいなかったら今の私はここにいなかったのではないかと思う。
その後、チェックチームから営業となった私は、入社して10年近くが経つ。
産休・育休明けを経て、また戻ってきたいと思えたのは、育休中も復帰のときもサポートしてくれた柵山の存在が大きい。
笑いのツボが合うって大事
すぐに距離は近づいた
思い起こせば、最初に出会ったのは、私の面接のとき。
クールで少しとっつきにくいイメージがあったが、距離が縮まるのにはそう時間はかからなかった。
几帳面な仕事の進め方なのに、どこかヌケ感あり、心地よいトークのテンポ。
それは、私の求める上司像。仕事を教えてもらっているにもかかわらず、笑いが生まれ、この人とは絶対「笑いのツボ」が合うと確信してしまったのだ。
ご覧のとおり、かわいい、いや美しい女性。忙しくてもネイルやお肌のお手入れに手を抜かず、美しさをキープしている。いい匂いもする。
美しくて仕事ができるという時点で、私のあこがれの存在なのだが、それに加えて笑いのセンスが魅力的なのだ。
とにかくツッコミがキレッキレ。
柵山にツッコミを入れられた人はラッキー!おもしろくなってしまうから。
エピソードは数知れず。ただ文字に起こしてしまうと、まるで柵山がすべったかのようになるのが申し訳ない。本人に怒られるのを承知でいくつかエピソードを。
とある男性社員が、仕事上がりに念入りに歯磨きをしていたときのこと。「えっ、これからキスするの?」
またとある女性社員が、洋服のオモテウラを間違えて出勤してきた日、この時点でそうとうなおっちょこちょいであるが、
「もしかして、これって今の流行り?」と真顔で即ツッコミ。
また得意のExcel関数を駆使して、さまざまなリストや集計をしてくれる柵山なのだが、
セールス部の奥山(現在の私の上司、そして古き良き時代のひとり)が「柵山さ〜ん、Excelがおかしくなってしまったんで、ちょっとみてください」と柵山を呼ぶと、なぜがその現象を確認する前に直ってしまっている、という不思議なことが何度かあった。
柵山いわく「奥山さんは、ただ私としゃべりたいだけ、かまってほしいんでしょー」と一蹴。
柵山のするどいツッコミは、いつもまわりを笑わせてくれる。愛あるツッコミなのだ。
極度の方向音痴なこと。なくなるのが嫌で、いつも大量の在庫をかかえていること。
枕なしで寝ること。北斗の拳が好きなこと。実は手先が器用で、姪っ子のために羊毛フェルト作りにハマっていたこと。
今1番愛おしいのは、床拭きロボットの「ブラーバくん」ということ。
全部、私は知っている。
飲みにもよく行ったし、朝までよく遊んだ。一見酒豪と思いきや、お酒を一滴も飲まない。
私は柵山のツッコミ欲しさにお酒を飲んでいるようなものだ。
カラオケに行くともったいぶってなかなか歌ってくれないが、私が勝手に選曲すると、決まってプリンセスプリンセスの Diamond をかわいい声で歌ってくれる。
上司と部下という関係を超えて、全部ひっくるめて、私は柵山久美子が好きなのだ。
そんな柵山の今後は?
いつもなら、私たちが柵山に質問されることだが、数々のメンバーを育て上げた柵山の今後が気になるところ。思い切って質問してみた。
「やれることを、やれる範囲で。」とひとこと。
無理しすぎてもいいことはないからだそうだ。なんてかっこいいのだろう。
さらに「後進を育てたい。」と。
「自分は、社長の林より先に隠居してしまうので、その後も社長が困らないように」という、深い思いがつまっている。
部下を育てることにとどまらず、取締役となった今は、縁の下の力持ちといった存在で、
つねに林や副社長の永井を支え続けているのだ。
今回ご紹介したのは、私から見た柵山のほんの一面。
本人がこの記事を読んだら、面白くない!と不満が出そうでこわいが、私の大好きな柵山の魅力を少しでもお伝えできていたらうれしい。
この記事へのご意見、ご感想がある方は、直接柵山まで。
本人いわく、マニアックすぎて話について来れる人はいないんじゃないかと思われる、アメリカンプロレスについて語り合いたい方も、ぜひ連絡してあげてほしい。
また以前のように「かとちゃん、なんかおいしいもの食べたくない?」とランチのお誘いをしてくれる日を待っている。